自閉症の人も文字でならコミュニケーションできる

きょう知り合いの人からおもしろいリンクが送られてきた。言葉を話してコミュニケーションすることはできない自閉症の女の子が、パソコンでタイプすれば普通の人のようにコミュニケーションできるというYouTubeの映像。

その子の書いたものから推測すると、どうも自閉症の人の心の内面というのは、普通の人と変わらないみたいだ。むしろ制御しきれない脳の中に、無理矢理閉じ込められているような印象を受ける。

なんで人の顔を見れないのかとか、頭を自分で打ったりするのかとか、自閉症の人の不可解な行動に内面からの理由の説明があるところとかが興味深い。今まで、自閉症の人の心の中というのがどうなっているのか、まったく想像もつかなかったけれど、すごく普通の人と同じようだということがわかる。

「なんで自閉症の子供は、耳を手で覆ったり、手をぶらぶら振ったり、うなり声をだしたり、体をゆらしたりするのか?」("Why do autistic kids cover their ears, flap their hands, hum and rock?")という質問に対して、こう答えている。

「一度にたくさんの感覚が入ってくると大変だから、それを紛らわせるため。入ってくる感覚を遮断するために、自分から(音とかの)感覚を作り出している」("It's a way for us to drown out all sensory input that overloads us all at once. We create output to block out input.")ということらしい。

こういう話から、自閉症というのは脳の中の特定の配線の問題か何かではないかと想像させられる。

実際、自閉症でない人でも、直接話すのは苦手だけどチャットとかでなら元気に話せる学生とかにあったことがある。意外と普通の人の中でも自閉症気味の人とかいて、コミュニケーションのモード(直接会って話すか、電話で話すか、メールか、チャットかなど)によって、コミュニケーションの能力が違うということもありそうだ。おそらくネットがあるおかげで、今までコミュニケーションが困難であったひとにも活躍のチャンスが生まれたと思う。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

個人の能力や才能は環境に左右される

オランダに二日だけ共同研究で行っていた。飛行機で移動するときは本を読むのに絶好の機会だから、前から気になっていた本をついに読むことができた。

それがこの本。

Outliers: The Story of Success Book Outliers: The Story of Success

著者:Malcolm Gladwell
販売元:Penguin
Amazon.co.jpで詳細を確認する


日本語版もでているようで、これ。


天才!  成功する人々の法則 Book 天才!  成功する人々の法則

著者:マルコム・グラッドウェル
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


なんだか、一見ビジネスマンとかが読む啓蒙本のような雰囲気があるが、社会学や心理学の研究に基づいて、人生で成功するという現象の原因について調べている。脳科学とも意識とも直接的には結びつかないが、これを一冊読むだけで研究者にとって気になる「天才」という現象や「文化の違い」といったテーマについて理解できるようになる。

著者のグラッドウェルは第1感  「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい (翻訳) を書いた人で、その本もそうだったが、脳科学に翻訳可能な社会心理学的現象のおもしろさを教えてくれる。天才!  成功する人々の法則 を読むと「文化」なんかも科学的に研究できるだろうと感じることができる。

全部通して読んで初めて納得する所も多いのだけど、いくつか心に残ったことを書き留めておこう。

【1万時間の練習】
個人が音楽やスポーツなどで活躍するのは、その人に才能があるからだと思われがちだが、たとえ才能という要素があったとしても、むしろどれだけ自己の修練に時間と労力を費やしたかが重要だということが書かれていた。プロのバイオリニストを格付けすると、結局その人がどこまで上に上れるかは、どれだけ練習したかによるという調査結果がある。そして、1万時間の練習を積んだ人が、トップになる。その次ぐらいの人たちは8千時間ぐらいの練習量。そして、大きく成功した人には、その1万時間の練習をする機会が人生のある時点であたえられていて、それを活かした人だ。ビートルズもドイツのハンブルグでひたすら演奏していて、1万時間ぐらいのライブ量になっていただろうし、ビル・ゲイツもプログラミングにかけた時間がそのくらいはあっただろうという例が挙げられていた。

これは学者として成功したい人に当てはまるだろうか。そのくらい没頭してやることは必要だろう。でも、学問の場合は反復によって必ずしも、質が高まる訳でもないから、闇雲に1万時間かけても十分ではないだろう(それは他の例でも同じか?)。1万時間というのは、一日4時間で週に6日一生懸命なにかに取り組むとだいたい一ヶ月に100時間だから、一年に1200時間で、8年ぐらいかかることになる。それでも、なにか自分の好きなことをやりがいのある仕事にしたいひとは、それくらいはやるだろう。

【頭だけよくても意味がない】
アメリカにIQがむちゃくちゃ(アインシュタインよりも)高い人がいたのだけど、その人は成功しなかった。その人には、権威のあるひとなどと交渉したりするといった「実世界での問題を手際よく解決するためのインテリジェンス」がなかった。こういったソーシャルインテリジェンスというものはIQテストのようなもので測られるインテリジェンスとは別物で、これも重要な能力。

ひとつのプロジェクトにいろいろな専門知識と技術が必要となっている現代の科学では交渉したり、プロジェクトをまとめて、他の研究者とうまくやっていく能力というのはすごく重要だ。

最近読んだHarvard Business Reviewの記事にあったInnovation Value Chainという考えがここのところ頭に残っていて、研究に当てはめて考えることが多い。このIQの話は、Innovation Value Chainとも対応する話だと思う。Innovation Value Chainというのは、新しいアイデアを世の中に出すには、3つのステップがあるという考えで、最初に新しいアイデアを生み出すステージ、次にアイデアを評価するステージ、そして最後にそれを世の中に広めるステージに分かれる。そして、その話で一番重要なのは、ある会社におけるイノベーションの力はこの3つのステージの中での一番弱点となっているところで限定されるということ。これを研究にあてはめると、いいアイデアがあっても、それを実行できなければ意味がないし、さらに人に伝わるように発表できなければせっかくのいいアイデアと研究内容も、狙い通りのインパクトを持つことができない。

それから、IQについて面白いことが書いてあった。ある意味あたりまえと思われるかもしれないが、IQは120以上あったらそれ以上の高さはあまり学問をやるのに関係はない。IQはバスケ選手にとっての身長のようなもので、おそらく160cmでは低いかもしれないけど、200cmがかならずしも190cmよりもレベルの高い選手とは限らない。120あれば十分。友達でIQが170あることを誇りにしている人がいるけど、その人に言ってやりたい。

IQとは別のdivergence testというのがあるらしい。その問題は面白い。この本にでていた例はこんな感じだった。

「レンガの使い道を思いつくだけ挙げてください」

これで、いろいろ面白い使い道が思いつく人の方がIQが170あることよりも重要だろうという話だった。こういう能力が脳の何と対応しているのかは是非知りたい。最近、個人の能力とか性格の違いと脳の関係ばかりをみていて、こういうことが一番気になっている。

【文化の違い】
飛行機の事故の頻度が航空会社の母体となっている国の文化と関係があるという話。オランダのGeert Hofstede という人が作ったスケールで、Power Distance Index(PDI)という指標がある。これは、それぞれの国の文化において、どれほど権威というものに価値があり敬意をもっているかを測る社会心理的な指標となっている。

このPDIがそれぞれの国の飛行機の事故の頻度と高い相関を持っている。この本では、大韓航空が一時期ものすごく事故が多かったのはなぜかということをPDIで説明している。日本もおそらく文化的には似ているだろうが、アジアの文化では、敬語などの体系や昔からある繊細なコミュニケーション文化があるために、機長のような立場の上の人に意見することが難しい。あるいは、管制塔から待機せよと言われれば、言いなりになってしまいがちである。これは、アメリカに住んだことがあるひとなら感じたことがあると思う。日本的な感覚でやさしく接していると、なんだかちゃんと相手にしてもらえないこともある。だから、外国では言いたいことは言わなければいけないということもよく言われる。大韓航空の場合は、補佐的な役割のひとが問題を見つけても、はっきり機長に指令をだせずに、曖昧な示唆をすることしかできていないということが事故の原因になっていた。そして、コクピット内でのやりとりを全部英語に変更したことで問題は解決した。すべてを英語にすればいいというものではないが、飛行機の着陸のような状況では英語の方が敬語的なものを避けて情報の伝達に集中することができるから効率がいいのだろう。

ここにPDIの国ごとの順位がでているけど、イスラエルなどは特にPDIが低い。これは自分の感覚ともすごくあっている。イスラエル人の共同研究者が何人もいるけど、いろいろな要望をいってくる。そのかわり、かなり言い返しても、別にけんかにもならないし別に普通のことのようだ。その辺は、仕事の上ではやりやすい。

PDIの高い低いが国の文化の良い悪いと直接関係しているとは言えないし、あまり直接的すぎても人間味がないなあと思うところもある。ただ、科学者はこの英語ではっきり意見と情報を伝える能力は必要だろう。これは避けて通れない道だと思う。(ただ、意外にも日本のPDIはわりと低い。)

逆に、日本的な文化を背景にもつことの強みもある。この本にでてくる例では、稲作文化圏では、「努力すれば報われる」という価値観が根付いている。バブル以降に大人になった世代は、そういう将来像を持つことができないなどともいわれているが、たしかにアジア人は一生懸命働く。一方、中世のヨーロッパの農業ではより封建制度が強く、努力することが自分の喜びややりがいにつながっていなかった。むしろ、がんばって働くと土地がやせて、作物がとれなくなってしまうぐらいだった。実はアメリカでもゆとり教育というものがあったのだが、それはヨーロッパ式の農業の倫理観が反映されているとグラッドウェルは論じている。

日本人(それから中国の南や韓国の)こういう精神性は、最初に書いた1万時間の修練にもつながる。

こういう話は、偏見や差別に繋がりかねないから、たいてい論者は慎重になる。ただ、この本を読んで、自分の多国籍研究者たちとの交流から感じていた印象が一気に理解できた。それから、いかに歴史の知識が異文化理解に重要かもわかる。

文化に関しては、文化という環境が個人の資質などに影響をあたえるという文脈で論じられていたが、これに遺伝的な要素があるのかどうか、あるいは親や共同体を通して受け継がれているのか、どっちもあるんじゃないかと思う。文化差と脳と遺伝子の関係は、これから研究が進んでわかってくるだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

情報過多 (Information overflow)

日本からロンドンに帰ってきました。

今回の日本での日本神経科学大会でのシンポジウムも良い経験になったし、岡崎での意識のワークショップも内容がとにかく濃かった。それについてもいろいろ書きたいことはあるが、日本にいる間にたくさんの人と出会って話をしている内に、前々から気になっていたことが自分の中で明確になった。それは2つある。

ひとつは、以前のエントリーでも何度も書いたが、脳科学が実世界に影響をもつためには何が必要かということ。神経科学大会で、ATRの神谷さんのオーガナイズしていた「現実世界に挑むニューロイメージング」というシンポジウムの題名もまさに「現実世界」を意識したものだし、そのなかでJohn-Dylan Haynesがニューロテクノロジー(neurotechnology)という言葉を持ち出していたのが印象的だった。それから、(例によって土谷に薦められて)帰りの飛行機の中で読んだ藤井直敬さんの本でも、インターネットとの比較で脳科学が現実世界にまだまだ実質的な影響を及ぼしていないということが書かれていた。

 つながる脳 つながる脳
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

おそらく脳科学者の間でも、現実世界への応用や影響力というものがメディアで取り上げられるほど実現していないという感覚が広がってきているのだろう。その一方でBMIなどで、現実世界への応用の可能性も見え隠れするようになり、本格的に役に立つ脳科学を提案していくことができると感じているのかもしれない。

これがひとつ目の気になっていることではあるが、今回はもうひとつの気になること、「情報過多の世界」について書こうと思う。

ここ5年間ぐらいの間、パソコンに向かって仕事をしているときなどに、同時にたくさんの情報を処理しなければ行けない状況が毎日続いている。論文を読んだり書いたり集中力を必要とする仕事をしている最中にも、友達がチャットで話しかけてきたり、同時に聞いているポッドキャストが気になったり、電話もかかってくるし、被験者から次のアポイントメントをどうするかとメールが来たりする。さらにオフィスの同僚も、まったく関係ない話をしてきて追い打ちをかけてくる。さらにmixiの横にでてくるどうでもいいニュースにも気をとられ、なんとか自分の仕事を完成させるために集中しようとすると、精神力を使い果たす。

同時に複数のメディアから情報をとりいれ、仕事上の対処をしていくようなマルチタスクの状況はますます加速していくばかりだ。仕事だけでも、大きな画面二つでたくさんウィンドウを開いて、いくつもの計算処理を同時に行ったりする。こういう状況を、現代人のほとんどが経験しているはずだ。情報へのアクセスが簡単になった結果、入ってくる情報の量が個人が意識的に処理できる量をあきらかに越えている。自分より少し若い世代になると、まさにマルチタスクの環境で育っているからか、それほどこの状況に困っていないようにも見える。

マルチタスクをしながら目標の課題を完成させていく能力というのは、今後ますます重要になっていくだろう。その中で、マルチタスクの環境に脳は適応できるのか、またはマルチタスクが巧いか下手かというのは、脳のどのような違いによるものかという疑問が浮かんでくる。

この文脈でおもしろい論文が最近PNASにでていた。

Ophir, Nass & Wagner (2009). Cognitive control in media multitaskers. PNAS

この論文では、日常的にマルチタスクをどのくらい行っているかを個人について問診票(アンケートのようなもの)で調べ、その中で日常的にマルチタスクの量が多い人と少ない人の間で、認知課題における能力の違いを調べている。ここでは課題と無関係な情報に気を取られずに課題の遂行に重要な情報だけにどれだけ集中できるかを調べるような実験をいくつも行っている。その結果、マルチタスクを日常的にたくさん行っている人は、無用の情報に注意を引かれやすいということがわかった。

これがこの論文の主な発見なのだが、残念ながらこれだけでは、因果関係がやはりわからない。無視すべき情報を無視できないひとがマルチタスクな生活を送りやすくなっているのか、あるいはマルチタスクを毎日行うことで、無関係な情報に注意が向いてしまうように脳が発達したのか区別することができない。当然両方の可能性があるだろうし、さらに実験をすればその区別をつけることは可能だ。

ただ、「集中力がない」というのはネガティブに取られがちだが、もしかしたら「集中力がない」というのは一つの側面にすぎず、「いろいろなモノに気を配ることができる」という能力なのかもしれない。おそらく時と場合に応じて両方の能力が必要だろう。ゴールが見えている仕事を完成させようというときは、「集中力」は明らかに必要になる。でも、日常的には、何かに没頭していて、周りが見えていなければ、向かってくる車にも気づかないというような危険もある。新しいアイデアを生み出すには、今すぐ利益(課題遂行)につながらない無関係な情報も取り入れて自分の無意識の中で熟成させておくことも必要だ。そもそも、今回「マルチタスク」について書こうと思ったのも、日本を旅しているときにいろいろ人との会話の断片と、自分の研究に直接関係がなくても興味があって読んでいた論文などが、頭の中で組み合わさって生まれてきたものだ。

その関連で、「気が散りやすい人」の脳がどう違うかなども見ているが、実際「気が散りやすい人」の脳はすごく発達している(灰白質が多い)。正式に論文になるまでは、詳しいことは書けないが、やはり「気が散る」というのは、脳に秘められた能力の一つなのではないかと思えてくる。

それから今回京都大学の経済学部を訪問したときに、「情報過多」と脳について考えさせられることがあった。ひとつは、原良憲先生という方と少しだけ話す機会があったのだが、「新しいアイデアというのは、どのような状況で生まれてくると思うか?」という質問を受けた。詳しいことはわからないが、原先生は「イノベーション」について研究しているということなので、おそらくその観点からの質問だったのだろう。

そのときに、アイデアというのはやはり常に潜在的に自分が多様な情報を浴びているということが必要なのではないかと思った。その対局に一つのことに集中して、ブレークスルーを起こすというスタイルもある。でも自分の実感としては、より日常的に発生しているレベルのアイデアは、少し離れた分野間で相性の良い組み合わせを見つけてくるようなことが多い。そういう意味で、もしかしたら「情報過多」の世界で少し気が散っているぐらいのほうがクリエイティブな素養が育つのではないか。まあ、その一方でおもしろい話をたくさん知ってはいるが、生産的なアウトプットに結びついていない人がいることも事実だ。それから、一見無関係な情報の間に関係性を見いだし価値を生み出すというのも別のセンスが必要そうだ。

だから、標準的なアイデアから達成までのプロセスには3段階あるだろう。

  1. いろいろなことに興味をもって、たくさんの情報を浴びる
  2. 個別の情報を自分のなかで整理して、意味のあるつながりを見つけ出す
  3. 最終的な形のあるものに還元するために、集中して実行する

この2つ目のステップは、睡眠とも関係が深いだろう。睡眠中に一日の間に得た情報の整理が起きるような話はよくあるし、以前紹介したMatt Walkerの論文などでは、個別の関係性の学習から、全体像を睡眠中に再構成するような学習が起きることがしめされている。それから主体的に問題意識をもって情報を取り入れることも重要だろう。

それから、これは推測だが、睡眠に限らず「休憩」にも情報を整理する役割があるのではないかと思う。個人的な観察だが、日常的に雑多な情報を浴びている人は、なんらかの「休憩」をもうけている。パズルゲームに没頭する人や、瞑想的なことをするひと、youtubeでお笑いやアニメをみるひと、たぶんこういった無駄にみえる活動もクリエイティブな活動をする上で、脳が自然に渇望してしまう行動なのかもしれない。こういった「休憩」が実際に認知機能や学習に実際に効果があるかはわからないし、単に現実逃避のストレス解消にすぎないのかもしれないが、興味深い現象だ。

研究者に限らず、新しいアイデアと情報を生み出す重要性は先進国では、どの産業でも同じだろう。集中タイプの人と、発散タイプの人がある程度個人の脳の特性としてありそうだということを考えると、その両者を組み合わせてグループを作ることで、組織としての生産性をあげることはできるのではないだろうか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本の脳科学ブームについて

今、学会に備えて日本に来ている。久しぶりに日本のテレビを見たり、本屋をうろついたりしていると、「脳は本当に日本ではやっているのだな」と感じる。それにともなって脳に関する言動が脳科学者には信じがたいものにさえなっていることに気づいて、なんともいえない気持ちになる。

ことの発端は、時差ぼけで早く目が覚めてしまってみていた番組で、川島隆太が万葉集へのコメントで、感情と数字の関係について話していたこと。あたかも脳科学では事実であるかのように、「数字に関してトレーニングをすることで感情が豊かになる」みたいな話をしていた。この話が完全にウソかどうかは、実証できるかの問題であって、完全に否定できるかはわからないし、もしかしたら本当かもしれない。ただし、数字の知覚がどのように脳では扱われているかについて論文も読んできたが、そんな話はでてきたことがない。少なくとも、脳科学者があたかも事実のように語ることができるような信憑性はない。せいぜい、面白い仮説だから実験で検証してみましょうというのが正しい態度だろう。

もしこのペースで、根拠のない、いい加減な架空の「脳科学の発見」をテレビで発表し続けられたら大問題だ。これまでも、メディアでとりあげられる「脳科学の話」に問題があるという声は、脳科学をやっているひとたちの中ではあった。実際に研究者の中で知られている現象を輸入してきて勝手に自分のものにしてしまうパターンや、根幹は正しいが話を大きくしすぎて正確さに欠くパターンなどが多々ある。そこを批判する人は実際に多いし、それらは真面目な脳科学者の気持ちとしてもっともだと思う。それでも、こういった脳科学の紹介というのは、一般の人に脳科学のハイライトを伝えるという意味では役割があったと思う。「キャプテン翼」が中田英寿を生んだ(CNNのインタヴューでそんなことを答えていた)ような役割を果たしている。潜在的な層の厚さというのは、その国の底力として反映されてくる。そういう意味では、脳科学ブームによって、日本の脳科学者予備軍の層は厚くなっているに違いない。

それから「○○をすると脳が活性化する」という話。なんでその手の話が多いのか。脳に関係なく、体操のお姉さんまでが言うようになっている。100歩ゆずれば確かに○○をしたら脳は活性化しているだろう。でも、何をするのにも脳が活動しなければ行動できないのだから、ほとんど何も言っていないも同然だ。「健康なことをしたら健康です」と同じぐらい意味がない表現だ。でも、「役にたつ脳の話」が求められているという需要から、そうならざるをえないというのは理解できる。研究の現状の話は、一般的にはそこまでおもしろい話にはならないだろうし、事前知識がなければ意味がわからないだろう。それは一般向けとしては必要ではない。何よりも、一般的に役に立つほどの「応用脳科学」的なものがないことが、現在の脳科学の弱さでもある(だからといって科学すべてにそれが必要とされるべきでもない)。ただ、そこへいたる思考の経緯と研究の結果からわかったことの人間観へあたえるおもしろさなどは、専門知識がなくても共有できるものであるはずだ。だから、そこを伝えてほしい。

脳科学の話になると、キャプテン茂木さんがよくでてくるが(茂木さんを「キャプテン」とかなり昔に呼んだのは土谷だが、土谷は遠慮なしにいつもズバリと言い当てる。その後、数年して中田のインタヴューを見て妙に繋がってしまった)、その脳のおもしろさをつたえるということに関してあのひとはそんなに外してないと思う。それからyoutubeで日本のテレビを見て茂木さんが話していると、あまり脳の話をしなくなっている。本屋に立ち並ぶ本のタイトルには無理矢理「脳」が入れられているけれど、基本的には教養のあるひとのエッセイ集のような本が多く、実際面白い。ここぞとばかりに読み切れないほどの出しているから、こちらとしても読み切れないが、『脳と仮想』は面白かった。そこには、ひとつ未だに気になることがさらっと書かれていた。それがもしかしたら茂木さんを社会が必要としていることと関係しているのではないかと思う。

正確なその文章は覚えていないが、こういう内容だった。「テレビが低俗なのではなく、それを見る目が低俗なのである。」といった文章で、見る目を養えば、あるいは自分の中に問題意識をもって物事をみつめれば、その中に自分にとって意味のある内容を見いだすことができるということだ。そもそもクオリアの問題に気づくというのは、そういう過程を要するし、科学全般にもあてはまるだろう。Patrick Haggardという自由意志の脳科学のスターがいるが、Patrickは講演するたびにいつもIan McEwanのAtonementの一部を朗読する。それは、「自分が指を動かそうとしたら指が動くが、動かすことを考えていても動かない。動かそうとして、やっぱりやめることもできる」というあたりまえの用で気がつかない自由意志の不可解さをうまく表現している。『脳と仮想』ででてくるスーパーマリオの話などは、そのAtonementのような、良い視点だと思うし、脳科学はそういうあたりまえの問題意識を出発点にしている。

脳科学はそれを掘り下げていく作業で、実験に翻訳していく作業でもある。よくある茂木さん批判として、その実際の実験に置き換えて新しい事実を発見するという、脳科学のプロフェッショナルはやらなければいけない作業をやっていないということがある。それはそのとおりだと思う。そこはすごく地味な作業ではあるけれど、それをやらなければ絵を描けないデザイナーみたいなものだろう。実際に研究をしているひとには逆のパターンもあって、絵を描く訓練を受けていても面白い絵が書けないということもあるし、具体的な細かい問題に対処する日々のなかで、最初の興味から遠くはなれてしまったような気になることもある。モチベーションの出発点となる疑問の深さと、実験として成立させる手腕の両方の能力があるにこしたことはないだろう。

茂木さんはこれだけ売れてしまっては、なかなか地味な作業をやる機会はないだろう。「いつかやるのかな?」と前は思っていたが、おそらくおもしろい本を書く方に才能があるから、おそらく楽しんでやっているだろうし、個人的にはそれを続けていていいと思う。茂木さんの本は、音楽が心に影響するように、低俗な情報にまみれてた現実の外に一歩抜け出して、凛とした気持ちにしてくれるのではないか。

それはそうと、これだけ脳科学が一般に浸透していながら、実際に脳科学は社会に影響を与えうるものになるのだろうか。現実に影響をもつというのは、製薬会社が生化学のトレーニングを受けた人を必要とするような状況のことだ。最近、広告などで使えるかもしれないという話もでてきてはいるが、脳科学なしでは成り立たないような業種というのは今のところないだろう。脳外科とか医療関係などは具体的な産業的価値があるだろう。「攻殻機動隊」のような世界になれば、脳科学は必須学問になりえるだろうし、脳科学を基にした産業が成立しうる。今のところは技術が及ばないが、それでもデコーディングの分野は発展しつつあるし、日本は強くなる可能性を秘めている。

それでいつも気になってしまうのが、日本の大学にはニューロサイエンスや、認知科学の授業をうける機会が少ないということだ。京大にいたときなんて、三つぐらいしかなかった。独学しようにも、断片を集めたような本ばかりで、信頼できる教科書的なものもさほどなかった。今の脳科学ブームをうけて、脳科学をやりたいと思って大学に入った学生が、良い機会に恵まれて育っていかなければ、非常にもったいない。まあ、なんだかんだで、どういう状況にあっても、やる気がある人はやるし、少々機会がないぐらいであきらめる人はどっちみちやらないというのも本当だと思うが、どうせなら脳科学をちゃんと勉強する機会というのを大学も作っていくべきだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

自分の脳について

今やっているプロジェクトで、脳の構造画像から個人の脳の特徴がどれくらいわかるかということを調べている。

これが意外と面白い。例えば、MRIの画像さえあればその人のどの脳部位が発達しているかがわかる。なんだかんだで50人ぐらい(データベースを含めると500人ぐらい)の脳と比較して個人の脳の発達のパターンをみると、かなりその人の特徴がわかる。

ほとんど脳占いの領域に入っている。自分の脳を平均的男性の自分と同じぐらいの年齢層と比べると、自分の左前頭葉が発達していることがわかる。研究者には実はこのパターンが多い。

実際に見てみるとこんな感じ。
Picture_1




Picture_5




実はこういう感じでかなりいろんなことがわかる。詳しいことは論文になるまで公開できないが、個人のおっちょこちょい度とか、仕事をまじめにこなす度とか、記憶力とかが実はかなりわかってしまう。

被験者で来てくれた人が興味があれば、自分の脳が平均とくらべてどうかというのを見せてあげることにしているけれど、たまに脳がすごく少ない人とかもいて、申し訳ないときもある。

あまりに予想していたよりもその人のことがわかってしまうから、未来には脳の画像を履歴書に貼付けるようになるのではないかという倫理的な問題も生じてきてくる可能性さえある。

基本的には相関をみているだけだから、今後は脳画像に基づいた予測の精度が問題になってくる。おそらくデコーディングをやっている人たちはすでにたっぷり考えていることだろうけど、"prediction is everything"というのを常々感じるようになった。というのは、やはりデータの次元が脳科学全般であがってきていて、古典的な統計ではその次元に対応するためにそうとうな実験の量が必要とされるようになってきた。おそらく予測能力というのが、科学の理論の強さを測る絶対的な指標なのだろう。

これは自然科学だけではなく、社会科学にもあてはまる。おそらく占いというのは原始的な科学で、人間の脳は世界の不確定性を扱うために、未来を予測する能力をもとめてきた。その意味で、科学というのは人間の自然な欲求に基づいていると思える。

そして、予測することから途中の経過を操作することで、予測通りに現状を変化させることが技術力だろう。脳の相関からターゲットの部位を見つけて、薬学的かあるいは脳刺激によって、予想通りに行動のパターンを変化させることは技術にあたるし、理論の正当性の確認にもなっている。医学というのは人間の体の仕組みの理解に基づいて、人間の体を操作することだし、電化製品なんかは物理の予測能力の賜物といえる。

まだまだ脳科学が脳技術になるまでに何十年かかかるかもしれないが、その時代はすでにみえている。おそらくクリティカルな次のステップは、脳科学が経済的に社会に貢献することだろう。今はまだ脳科学は好奇心に基づいた研究テーマでしかないが、インターネットが今の社会を20年前とは別モノにしてしまったように、脳科学も徐々に実社会に浸透していくだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

意識と時間

そもそも時間の知覚に興味を持つようになったのは、「意識があるということ」と「時間の流れを感じること」は切っても切り離せない関係にあると思っていたからだ。眠って意識がないときには、時間が刻々と経過しているという感覚はない。(もちろん目が覚めてから、時計をみたり、よく寝たことによる体の回復を感じて事後的に時間の経過を認識していることはある。)一方で、目を覚まして意識のある状態では、なんの感覚の入力がなくても、自分という意識を持った存在が時間の中を流れているのを感じる。

だから、時間の流れを感じる仕組みがわかれば、意識のことがわかるのではないかと思った。

それで実際に時間の研究をしてみたら、これがなかなか意識とつながってこない。まず、時間感覚に関する過去の心理学研究の状況がかなり混乱している。いままでいくつかの分野の文献を読んできたが、時間知覚はとくにごちゃごちゃしている。そして、時間知覚の研究にはまればはまるほど、最初の興味の意識との関係は遠のいていく。

そもそも「なんで時間が流れるのか」というおおざっぱな問題では、新しい仮説を生み出すような実験にはなかなかたどり着かない。意味のある実験にたどり着くことができなければ、哲学者の〈下手な考え〉になってしまう。フッサールももっと前の哲学者も、似たようなことは考えていた。哲学者に恨みはないが、科学の発見と比較して、現在手に入る情報だけをもとに考えていても、わかることは限られているだろうと思うのだ。

そんな中、意識と時間を繋いだおもしろい論文に出会った。

Limits on Introspection by Corallo et al. (2008).

この論文ではIntrospective RT(反応時間の内省的評価)という尺度を用いて、被験者に刺激に対して反応するのにかかった時間を内省によって答えてもらっている。二つの課題をほぼ同時に遂行しているとき、二つ目の課題に対する反応時間が遅くなる(psychological refractory-period, PRPと呼ばれる現象)のだが、このようなdual task条件で、二つ目のタスクにかかったと思われるintrospective RTは遅くなっていないというデータを出している。この客観的なRTと内観的なRTとの乖離から、著者はPRPによる遅れの時間は主観的に知覚されないと結論づけている。このような時間知覚に貢献する脳内の現象は、DehaeneのGlobal Workspaceへのbroadcastingと同列のものであると考えているようだ。

これはまるで意識のrefractory periodには時間の経過を感じていないという現象のようだ。

それから、PRPのような実験で、refractory periodの最中にどのようなcognitive processにアクセスできるのかを調べているという点も非常に珍しいおもしろい研究だと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

社交性のある脳

ここしばらく学会などで旅をしていた。
フロリダのVSS以来、途中ロンドンには立ち寄って洗濯する程度で、ベルリンのASSCへもいき、そして日本の生理研での研究会にも参加した。

その間にたくさんの脳科学や意識についての講演を聴き、自分でも計6回ほど人前でふがいない発表をしたりした。毎日たくさんの人と会い、いろんなテーマについて話し合った日々が1月ほど続いたわけだ。それだけ、そうとう気になる話が頭の中に溜まっていてこのブログにも書きたいことがいろいろある。

それもまた身の回りの整理ができたら書くとして今日は一般的に面白そうな論文紹介をしようと思う。

その論文がこれ。

The Brain Structural Disposition to Social Interaction by Lebreton et al. (2009) in Eur J Neurosci.

「脳の構造の違いで個人がどれだけ社交的かがわかるか?」というのを調べた研究。MRIでみたgray matterの量と社会的交流をどのくらいリワードとして感じているかの相関を見ると、orbitofrontalとかventral striatumのgray matter densityが高い人ほどフレンドリーだったという話。social reward dependenceというのを、Cloninger's TCIというアンケートで求めていて、その人たちのMRI画像と相関を取ったVBM(voxel-based morphometry)の研究。この研究のすごさをおおざっぱに言ってしまうと、脳をみただけである程度その人がフレンドリーな人かわかってしまうということだ。こういう研究はこれから社会に大きな影響を与えていくと思う。

ただ、問題はこういう研究では因果関係がさっぱりわからない。生まれつきリワードと関係した部位が発達する遺伝子をもっていたから社交的な人間性になったのか、社交的な人間性だったからリワードと関係した部位が発達したのか。おそらくそういう場面で脳刺激は因果関係を確立するために活躍するだろう。

ただ、まえから気になっていたのが、tDCSではよくレファレンスを刺激部位と反対の眉毛の上あたりにつけることがある。それだとorbitofrontalを刺激してしまうからあまりやらないようにしているが、実験の種類でBA10を刺激する実験をしていたときに気になったことがあった。どうも実験中とか休憩中に被験者がよくしゃべるようになる。社交性があがるかどうかの実験ではなくてワーキングメモリの実験だったから、じっさいによくしゃべるようになったのか計測していないが、もしかしたら本当に効果があったのかもしれない。あくまでも主観的印象だが。

いま自分でもVBM風のこと(cortical thicknessとDTIも含む)をやっていて、本当に因果関係があるのかわからないようなとんでもないものでも相関を見ることができてしまう。因果関係までみるためには相関のあった部位に脳刺激を与えて機能が実際に変化するところまで確認する必要がある。

いってみれば手相占いのようなものだけど、実際に統計にかけてチャンスより高い確立であたっていることを示す必要がある。そして、因果関係を確立するというのは、手相を書き換えたら本当に寿命が延びるかということをテストすることにあたる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年の日本での意識研究イベント

今年の秋9月に日本で意識研究に関連したイベントが二つあります。

一つは日本神経科学大会でのシンポジウムで、もう一つはその直後に岡崎での意識のワークショップです。

日本神経科学大会では、意識がテーマのシンポジウム「意識の脳科学の最前線」

テーマ
意識の脳科学の最前線
座 長
伊佐 正(生理研)、Christof Koch (カリフォルニア工科大)
演 者
Christof Koch(カリフォルニア工科大)
Ned Block(ニューヨーク大)
Petra Stoerig(ハインリッヒハイン大)
吉田 正俊(生理研)

それとあえて「意識」というテーマでかぶらないようにしたものの、実際の内容はかなり意識を意識した、このシンポジウム

テーマ
★ 錯覚・視覚イリュージョンの脳内メカニズム − 心理物理、脳刺激、電気生理、薬理学的アプローチ
座 長
土谷 尚嗣(カリフォルニア工科大)、金井 良太(ロンドン大)
演 者
土谷 尚嗣(カリフォルニア工科大)
金井 良太(ロンドン大)
Olivia Carter(メルボルン大)
Melanie Wilke(カリフォルニア工科大)

を土谷とオーガナイズしています(といってもほぼ土谷がすべてアレンジした)。

それからATRの神谷さんがオーガナイズしている

テーマ
現実世界に挑むニューロイメージング
座 長
神谷 之康(ATR)
演 者
神谷 之康(ATR)
John-Dylan Haynes(ベルリン医大)
定藤 規弘(生理研)
Uri Hasson(プリンストン大)

も面白そうです。

どれもも海外から研究者がこぞって参加しているので、意識研究をしている研究者の人たちにも、これから研究をしたいと考えている学生の人たちにもかなりおすすめです。

それから岡崎での意識のワークショップでは、この人たちが話します。

実は、このシンポジウムをやるということで思い出したことがある。自分が学部生の4回生だったとき、岡崎で割と生理学者が多い視覚のシンポジウムを土谷と見にいったことだ。あの頃は、視覚のことなどほとんど何もしらずに意識の研究をしたいと思い始めていたぐらいの頃だった。2000年のはじめぐらいだったと思う。今思えばかなりの豪華メンバーのシンポジウムで、行く前の2、3週間前ぐらいから土谷と二人でスピーカーの人たちの論文を読んで二人だけのジャーナルクラブをやっていた。がんばってLammeとかZekiとかに話しかけたのを覚えている。今となってはかなり懐かしい思い出だ。

もしかしたら、今回の意識シンポジウムは、これから意識研究をしようという人にとっての思い出深い入り口になり得るんじゃないかと思う。

詳しい日程等の情報は以下の通りです。pooneilさんのブログでも説明がでています。

発表者の顔ぶれからはミニASSCという雰囲気になりそうです。Ned Block, Petra Stoerig,そして吉田さんという組み合わせからはいかにもblindsightとp-consciousness,a-consciousnessの話が盛り上がりそうなのが楽しみです。

1. INTERNATIONAL WORKSHOP "SCIENTIFIC STUDIES OF CONSCIOUSNESS"
Further information: http://www.nips.ac.jp/%7Emyoshi/workshop2009/
Date: September 19th-20th, 2009 (at Okazaki Conference Center, Aichi,
Japan http://www.orion.ac.jp/occ-e/)
Deadline: July 15th, 2009

The regstration fee is free. The banquet fee and lunch fee are optional and required to pay onsite by cash.

Organizers: Masatoshi Yoshida, Nao Tsuchiya (naotsu@gmail.com)
Registration open till July 15.

(all the presentations will given be in English)
Tentative themes:
1) Time and consciousness
2) Electrophysiological approach towards consciousness
3) Reliability of subjective reports on phenomenology
4) Consciousness vs. Attention
5) The role of thalamus in consciousness
6) Decoding the contents of consciousness

Confirmed speakers:

----------------------

2. THE 32nd ANNUAL MEETING OF THE JAPAN NEUROSCIENCE SOCIETY
(Neuroscience 2009) INTERNATIONAL NEUROSCIENCE CONFERENCE
Further information:
http://www.congre.co.jp/neurosci2009/english/index.html (expected
attendee : >3500 people)
Date:September 16th-18th, 2009 (at Nagoya Congress Center, Aichi, Japan)

DEADLINE for Abstract Submission APR 15

(All the talks and posters will be given in English)
Plenary Lectures
- Christof Koch, Professor (Caltech)
- Barry W. Connors, Professor (Brown Univ.)
Special Lectures
- Tetsuro Matsuzawa, Professor (Primate Research Institute, Kyoto
University, Japan)

There will be two associated symposia, closely related to the topic of
the neuronal basis of consciousness:
1. Frontier of neuroscientific research on consciousness
2. Neuronal mechanisms of visual illusions : empirical approaches from
psychophysics, brain stimulation, electrophysiology, and pharmacology
3. Neuroimaging and real world complexity
http://www.congre.co.jp/neurosci2009/english/index.html


| | コメント (1) | トラックバック (0)

小説家イーグルマン

時間の知覚や共感覚の研究で有名なDavid Eaglemanというニューロサイエンティストがいる。Eaglemanの研究にはいつも「面白い問題意識」と「ダントツの表現力」があふれている。

そのEaglemanがなんと短編小説のようなもので作家デヴューした。ある意味、コンセプチュアルなストーリーを書くのは、心理物理学でセンスのいい実験をするのと似ているのかもしれない。もっと大きくいってしまえば、人間の本性と不思議さを探求している脳科学者は、文学や哲学的な興味を人間に対して抱いているものだろう。そういう意味で神経科学者が小説を書くことは不思議ではないが、実際に研究者としておもしろいことをやっているひとが、作家といてデヴューした例はあまりしらない。

それでEaglemanはいったい何を書いたのだろうと好奇心でこの本を読んでみた。

Sum: Forty Tales from the Afterlives Book Sum: Forty Tales from the Afterlives

著者:David Eagleman
販売元:Pantheon Books
Amazon.co.jpで詳細を確認する


この本は死後にどうなるのかという仮説が書かれている。それは科学的に考察したとかそういうものではなくて、コンセプトとして面白い死後の状況を想定した話が40パターンでてくるというものだ。「死後の世界には自分が生きている間に出会った人しかいない」という状況なんかがでてくる。単に死後の世界のコンセプトがおもしろいというだけではなくて、なぜかコミカルな死後の世界を想定することで、人間の生について一瞬ほっとしたような気持ちにさせられる。まさか神経科学者の書いた小説がここまで面白いとは想像していなかった。シンプルな言葉で書いてあるから、英語が苦手でもわりと気楽に読めると思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年:旅程

今年もいろいろ学会などに行く予定が満載で、けっこう春から夏にかけての予定が埋まってきた。今年は日本にも二度行く予定だし、同業者の人とは学会などでもあうだろうから、たまたま同じ場所に同じときにいたら、声をかけてもらえるかもしれないと思って、予定を書いておきます。

  • 4月20日〜4月23日:オランダ、NijmegenにてDecision Makingのシンポジウム(21日、22日)。
  • 5月8日〜5月13日:フロリダ、Vision Science Society (VSS)。Signal detection theoryでp-consciousnessとa-consciousnessは実はperceptual blindnessとattentional blindnessがあるだけだということをトークで主張する予定。p-consciousnessとa-consciousnessという概念があるのは、percetupualなレベルでのサプレッションとattentional/cognitiveなレベルでのサプレッションという現象があるから、そう感じるだけだと思う。
  • 6月4日〜6月9日:ドイツ、ベルリンでASSCという意識の学会。ここでは時間のシンポジウムに哲学者の人からよばれてトークをすることになった。
  • 6月11日〜6月16日:香港。コラボレーションがあって行く予定だったが、同時にAsia Consciousness Festなるイベントがあってアジア版ツーソン学会のようなものらしい。アブストラクトを送る暇がなくて、結局なにも発表はないがとりあえずコラボレーションの合間にちょっとのぞきにいこうと思う。
  • 6月16日〜6月23日:日本。18日19日の「視知覚研究の融合を目指して」という岡崎の生理研での研究会に参加するのがメインの予定。こういうイベントに日本で呼んでもらうのも参加するのも初めてだから、どんな人に出会うのか楽しみだ。その後は日本だから、やっぱり楽しいだろう。
  • 6月24日〜6月25日:香港。帰り道でも少しよる。
  • 7月と8月は、夏休みなしで高校生の面倒をみることになった。これが意外な展開で、ロンドンにある名門女子校の生徒が夏休みに研究を体験するためのスカラーシップのような賞をとって、2ヶ月間一緒に研究してみることになった。とりあえず論文をいろいろ送ってみたら、ちゃんと理解しているようだし、当然イギリス人だから英語も読めるし、意外となんとかなりそうだ。Psychophysicsだったら高校生でも論文だしたりできそうだから、けっこう楽しみだ。でも、たいていペーパーがでるまでには2年ぐらいかかるから、そのころにはその子はきっと大学に入学してるだろう。
  • 9月:日本。まだ先のことだから正確な日程は不明だが、日本神経学会に初めて行く。これもまた行ったことがないから予想がつかない。

今のところは4月までにたっぷりデータをとったり実験したりして、春からしばらく旅行になりそうだ。いままであまり意識しなかったが、研究していると秋から春まで閉じこもって、それからあちこちいくという年間の活動パターンができている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«行動の選択肢と意識