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On Intelligence

On Intelligence Book On Intelligence

著者:Jeff Hawkins,Sandra Blakeslee
販売元:Owl Books
Amazon.co.jpで詳細を確認する


この本を読んだのは、一年以上まえだ。ちょうどその頃、意識の問題に挑む戦略として、「ダーウィン作戦」がいいかもしれないと考えていた。ダーウィンが「進化」という概念を提唱することで、「生命」という現象がシステムとして理解できるようになった。もしかしたら、脳科学において、生物学における進化に対応するようなアイデアがまだ出ていないから、意識という現象が理解できずにいるのかもしれない。だとすると、脳科学における画期的なアイデアというのを最初に出すことが重要だ。自分は、脳科学での事実を十分に観察して、あらたな概念にたどり着くような考察を加えているだろうか。積極的に、現在わかっていることから、あらたな概念を導きだすように考えることが必要ではないか。そう考えていた。

このジェフ・ホーキンス(Jeff Hawkins)の『On Intelligence』 は、まさに「ダーウィン作戦」で脳に挑んでいて、ショックを受けた。

日本語版は↓。(英語版しか見ていないから、日本語訳がいいかは知らない)

考える脳 考えるコンピューター Book 考える脳 考えるコンピューター

著者:ジェフ・ホーキンス,サンドラ・ブレイクスリー
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


そもそも脳のやっていることの本質は何か?というところから著者は考えている。著者の結論は、脳の主な機能は「経験や記憶に基づいた未来の予測」ということになる。神経科学の本として読むと、大雑把でやや内容は乏しいと思う人がいるかもしれない。

実際に、専門的には書かれていないが、Olshausenなどのスパース・コーディングやICAのような、unsupervised learningが念頭にあることは明らかだ。興味のあるひとが、ここからたどっていけるように、いくつか下に関連論文へのリンクを貼っておいた。

Olshausen & Field (1996). Nature
Olshausen & Field (2004). Curr Opinion Neurobiol.
Simoncelli & Olshausen (2001) Annu Rev Neurosci.
Bell & Sejnowski (1997). Vis Res.

それから、著者のジェフ・ホーキンス(Jeff Hawkins)の経歴がとても変わっている。この本によると、ずっと脳を研究したかったのだが、うまく大学院に行けなかったり、紆余曲折あって、エンジニアとして成功した後で、脳へカムバックしている。この人の経歴を聞くと、脳研究がしたいと思っていても現実的に直接関われずにいてどうしようかと悩んでいる人には、励みになると思う。

ジェフ・ホーキンスのダーウィン作戦が成功かというと、まだ、これで答えだと納得はできない。でも、細かい専門家しかわからない研究ばかりしてないで、新しい考え方を提唱するというのも科学者にとって大きな仕事だと思う。


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P意識とA意識(つづき)

前回、P意識とA意識の概念的なことについて書いた。そして、P意識というのを実験的にとらえるのが難しいのではないかということを主張した。

言葉の面からだけ考えていると、すぐにP意識は考える必要がないとか、極論に走りがちになるので、具体的な事例を吟味しながら考えていくべきだろう。

で、今回は、P意識とA意識に対応する脳活動について書こうと思う。いくつか重要な論文があるから、ここで紹介しておこう。


de Lafuente & Romo (2005) Nature Neuroscience

このペーパーでは、サルの指に触覚刺激を、知覚できるかぎりぎりの強さであたえて、そのときの反応をS1のニューロンとMPC(medial premotor cortex)で測っている。S1は、触覚に反応を示す部位だが、サルの報告する感じたか感じなかったかに対応する反応を示していない。一方、MPCのニューロンはサルの主観的な判断に対応する反応を示した。このS1の反応と、MPCの反応はもしかしたら、p-consciousnessとa-consciousnessに対応していうると解釈できる。

さらにこの実験でおもしろいのは、直接MPCのニューロンを電気刺激するとサルが感じたと報告することだ。もちろんサルはしゃべれないから、そのときに何かを感じているのかはわからない。でも、これってa-consciousnessありで、p-consciousnessなしという状況ではないか。


Hanks et al. (2006) Nature Neuroscience

これは、LIPを刺激して、知覚に関する意思決定にバイアスをかける実験。上の論文と状況は似ているといえる。a-consciousnessを変化させているのかもしれない。

やっぱり、人間で、a-consciousnessを電気刺激で変化させると、何を感じるのかが気になる。


Super, Spekrijse & Lamme (2001) Nature Neuroscience
Ned Blockのレヴューでも出てきた特に大事な論文がこれ。この論文では、意識的知覚と深い関係にあると考えられているV1のcontextual modulation。しかし、この論文では例えcontextual modulatiionがあったとしても、decision criterionが違うと、答えが「見えなかった」になるという状況を示している。このような状況は、p-consciousnessあり、a-consciousnessなしと思われる。

実際に、脳の活動部位と対応関係をつけるとこで、p-consciousnessとa-consciousnessを考えるのがいいだろう。今、自分が興味をもって研究しているテーマの一つに、a-consciousnessを操作したときに、p-consciousnessがどうなっているかという問題だ。人間でそのような状況を作れば、具体的にどうだったか聞いてみることができる。今は、出力に近い行動にバイアスを無意識のうちに与えて、そのときの知覚の判断がどうだったかを調べている。しばらく行き詰まっていたが、このまえのpost-decision wageringの論文をみて、それで客観的なデータになるかもしれない。



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『意識の探求』の用語集

ついに、このブログのランキングも自然科学ブログの中でトップ10入りしました。クリックしてくださった方々、ありがとうございます。

それで、読者の層が広がったようです。今までの記事では、遠慮がちに書いてはいるのですが、専門用語を断りなしにつかっているので、もともと同じ分野の方でないと、内容がさっぱりわからないこともあるだろうと思います。少しは、たしになるかと思って、クリストフ・コッホの『意識の探求』の付録の用語集 をウェブ上で読めるようにしました。参考にしてください。ある程度の言葉は含まれていますが、それでも、ぜんぜん足りません。

それから、『意識の探求』第一章最終章 はウェブで無料で閲覧できるようにしています(おそらく、全章を公開してしまうと出版社に怒られてしまう)。他の章は、より専門的で教科書的な部分が多いのですが、第一章はイントロとして一般の人に向けて書かれています。最終章は架空のインタヴューの形式で書かれていて、読みやすいかもしれません。それで、興味を持たれた場合は、より知的体力を必要とする、専門的な部分を勉強されるとよいかもしれません。

これからも、遠慮せずに専門的なことを書いていこうと思いますが、多くの人の興味が引くような脳の話も、ときには交えていこうと思います。

金井

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P意識とA意識

哲学者Ned Block は意識には、二つの側面があると主張し、phenomenal consciousness (p-consciusness)とaccess consciousness (a-consciousness)と呼んでいる。(Block, 2005

p-consciousnessというのは、意識の現象学的な側面、つまり赤という情報を処理しているときに生じている主観的感覚のことだ。つまり、意識のクオリア的側面のことだ。一方、a-consciousnessとうのは、意識として表象されている情報機能としての側面。写真を見せたときに、「あの写真には赤い花が映っていました」と答えることなどの、意識の外からも観測できる側面を指している。

哲学的において、この概念的区分は非常に重要だといえる。たとえば、チャルマーズの主張は、科学はa-consciousnessを研究することはできても、p-consciousnessのことはわからないだろうと、言い換えることができる。デネットは、意識はa-consciousnessがすべてでp-consciousnessは幻であって、存在しないのではないかという懐疑的な立場だといえる。

では、脳科学者にとってa-consciousnessとp-consciousnessの区別はどのような意味を持つのだろうか。ひとつには、意識と注意の関係を実験によって探ろうという場合、この区別は重要だ。目を開けていると目の前に「見えている世界」があるが、それはすべてp-consciousnessで、しかし注意を向けて、特定の物体などを一定期間、ワーキングメモリといわれる記憶に蓄えて初めて、a-consciousnessになるという考え方がある(Lamme (2004)など)。

一秒間に10枚ぐらいのペースでたくさんの写真を見たときには、脳はすべての写真を処理しているが、ワーキングメモリに蓄えるペースが追いつかず、すべてについて答えることができない、つまりa-consciousnessがない。(Marvin ChunとMolly Potterの提唱したattentional blinkのtwo-stage model を参照)

確かに、このような意識に上っていたが記憶に残らない情報というのを、科学者の立場からはp-consciousnessと呼んでしまおうという議論に共感するところもあるが、疑問もある。無意識のうちに、さまざまな情報処理が行われている場合はたくさんある。マスキングや、Binocular Rivalryなどそれぞれ見えてない刺激が、脳に何らかの効果を残している例はたくさんある。それらすべてが一度、p-consciousnessとして存在しているという訳ではないだろう。では、被験者がレポートできない(a-consciousnessがない)情報のなかに、p-consciousnessがあるものとないものに分類する基準が必要だ。

直感的には、binocular rivalryで見えないときには、p-consciousnessはないように思える。でも、attentional blinkでみえなかったときは、p-consciousnessがあったかもしれない。どちらもレポートできないという点では同じだろうが、何かが違う。あるいは、違いがないのなら、「a-consciousnessがなかったが、p-consciousnessがあった」という状況と、「意識に上らない無意識の処理があった(言い換えると、a-consciousnessもp-consciousnessもなかったが、脳は反応していた)」という状況の二つに意味の違いを持たせることができない。

たとえば、こんな分類法はどうだろうか。a-conciousnessに上らなかった場合でも、「意味の処理」ができた場合は、p-consciousnessがあり、できなかった場合は、p-consciousnessなし。binocular rivalryで刺激を見えなくしたときには、semantic primingが起きないが、attentional blinkで刺激が見えなかったときには、semantic primingが起きる。この基準はひとつの目安にすぎないが、私のいいたいのは、このような基準がないとp-consciousnessについて議論することが難しいということだ。

最後に、a-consciousnessというのは、結局ワーキングメモリと同義だと思う。刺激に対して反応できるというだけだと、ゾンビでもa-consciousnessがあるというおかしなことになる。ゾンビでないことを示すテストは、情報を数秒にわたって保持してフレキシブルに使う能力、つまりワーキングメモリではないか。p-consciousnessがないという懐疑的立場をとってしまうと、ワーキングメモリを研究することが直接的に意識を研究することになる。




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Quick Note:睡眠中に目を覚ましてる脳部位

ちょっとだけ気になったことのメモ。

レム睡眠中にprefrontal cortexの一部やlimbic, paralimbic regionなごが目を覚ましているらしい。

Nofzinger(1997)Braun (1997)、Muzur (2002) (まだまだ探したらでてくるかもしれない)

その部位にinsulaは含まれる。dorsolateral PFCは目を覚ましていない。prefrontalの中で目を覚ますところと覚まさないところがあるというのがおもしろい。

レム睡眠は、夢をみているときは、意識があるとみなす。この目を覚ますネットワークはかなり意識と関係が深いかもしれない。


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禁煙と脳

タバコをやめるのは、ものすごく難しい。禁煙をしていると、頭の中にあれやこれやと言い訳が浮かんできてまた吸いそうになってしまう。基本的に喫煙者の多くは、いつかやめると思いながら吸っている。吸う必要がないとわかっていながら吸ってしまうのは、ものすごく苦しいことだ。今のところ幸いにも、禁煙に成功して、吸いたいという感覚もない。

タバコを吸わずにすむ幸せな人たちは、中毒っていうのがどういう感覚なのか想像がつかないかもしれない。あえて似てるものがあるとすると、ダイエット中の空腹感かもしれない。寝る前に食べないで寝てしまえばいいのに、小腹が空いてるからたべてしまう。そういう感覚だ。

禁煙について面白い論文が最近でた。サイエンスという雑誌に掲載されたNaqvi et al. (2007)の論文だ。その論文では、脳の一部のインスラ(insula、正確な日本語の解剖学用語だと島(とう)という)という部位が脳梗塞などが原因で損傷をうけると、タバコをやめるときの、あの「どうしても吸いたい」という感覚がなくなるということが示されている。ただ、よく読むと、insulaに損傷があった人が必ずしも、他の場所に損傷があった人よりも禁煙しているというわけではない。場所に関わらず、脳に問題があったら、タバコをやめようと患者はみな考える訳だ。

そとから、磁場で脳の活動を一時的におさえるTMSという装置があるが、もしかしたらTMSをインスラにあてることで、一時的なタバコを吸いたいという欲求を押さえることなんかもできるかもしれない。現実的には、深いところにあるから、その途中の場所を全部刺激してしまって、無理だろう。

インスラという脳の部位は、何をやっているところなのか?アントニオ・ダマシオは、内蔵感覚として存在する感情を意識的に感じるときに重要だと提唱している。無意識の感情を意識の感情に変換する場所だというアイデアだ。(ダマシオの論文 )正直なところ、ダマシオのいうような感情と意識の関係は、よくわからない。まだ消化できていないから、自分の態度が決まらない。

意識を別にしても、かなりいろいろなことにインスラは関わっているようだ。コカインの禁断症状の時に活動し、熱烈恋愛中に好きなひとの写真を見たりするときにも活動する(Bartels & Zeki (2000) )。なんとなく恋と中毒がにているのはわかるような気がする。それから「痛み」に関わるエリアとしても知られている。

個人的なニコチン中毒経験からして、インスラは禁断症状を意識するのに関わっているかもしれないが、中毒そのものがそこにはないかもしれないと思う。中毒自体は、もっと無意識な状態で存在していて、無意識のうちに思考などにも影響を及ぼしているように感じられる。



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Suns@MITの報告: Boundary Extension and RSC

二月の初頭にボストンでSuns というシンポジウムを見に行った。そこで話している人たちが、そうそうたるメンバーだったから楽しみにしていた。

すべてのトークについて細かく書いていく時間はないが、印象深かったものを少しずつ書き留めておこうと思う。

一番最初のHelene IntraubのトークはBoundary Extensionという心理学の現象についてだった。それは下のような写真を見てから、記憶にたよって後でその写真を描いてもらうと、ほとんどのひとが写真には写っていない外側の部分まで描いてしまうという現象だ。写真のイメージが、記憶の中でそこから想像させられるところまで広がっているようなのだ。

Picture_5_1








元の写真がワイドアングルだと、さらに記憶の中では広がる。

Picture_6_1








Intraub & Richardson (1989)より。


この現象自体は、確かに存在するようだが、そこまで意味のある現象だとは今まで思っていなかった。景色の記憶の研究としては、ほんの一面しかとらえていないように思えたからだ。

その後のMarvin Chunのトークを聞いて、その考えを改めさせられた。彼らは、fMRIで同じ写真を二度みせたときのadaptationの度合いを調べた。fMRI adaptationとうパラダイムだ。一度目にクローズアップの写真を見せたら、記憶の中でそれがワイドアングルになっているから、あたかも同じ写真を二枚見せているかのように、アダプテーションが起きるだろうという論理だ。その条件と、先にワイドアングルを見せてからクローズアップを見せる条件とを、場所に選択的に反応する脳の領域、PPA(parahippocampal place area)とRSC(retrosplenial cortex)で比べた。

同じ二枚の写真を見せているにも関わらず、クローズアップ、ワイドアングルの順で見せたときだけに、アダプテーションがRSCで起きていた。PPAは、おなじクローズアップ(またはワイドアングル)を二回連続で見せたときに大きなアダプテーションを示していた。

この研究の意義は:

  • Boundary extensionがRSCの活動としてリアルになったということ。
  • RSCとPPAの機能的な違いを示していること。
  • その結果として、Boundary extensionをassociativeな記憶として扱う視点が生まれたこと。

その後で、Moshe Bar が話した。BarはRSCがコンテクストの分析に関わっているといっていて(Bar (2004))、Chunの発見はその話ともぴったり一致する結果だ。

RSCに今まであまり注意していなかったが、これからもっと研究が盛んになるだろう。



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Buzsaki

Rhythms of the Brain Book Rhythms of the Brain

著者:G. Buzsaki
販売元:Oxford University Press
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この本は圧倒的に面白い。ただし、簡単に読める本ではない。ややプロ向けのテクストだといえる。しかし、ニューロサイエンスのプロの人は苦労してでも読むべき大作だと思う。

この本を読んでいると、クリストフ・コッホの『The Quest for Consciousness』を訳していて、脚注に詳細な情報が大量に盛り込まれているから、なかなか訳が進まなかったことを思いだした。BuzsakiもKoch並、あるいはそれ以上に、クドく情報を盛り込んでくる。おそらく、それはプロの読者を想定しているからだろう。プロの読者(科学者)というのは、常に関連した論文の情報を必要とする。それにしても、Buzakiの本は脚注が多くて、読んでもなかなか進まなかった。しかも、脚注に出てくる論文がおもしろそうで、元論文も読みたいが読みきれないほどだ。

基本的には、脳の中の振動現象(Oscillation)がメインのテーマだが、それよりも内容の幅の広さと、ここのテーマに対する洞察と知識の深さに圧倒された。

Buzsakiは章を普通の本のようにChapterと呼ばずにCycleと呼んでいる。最終章のサイクル13で、Buzsakiは意識(Consciousness)をどう考えているかを述べている。アプローチは違うが、Tononi (2004) の情報統合の理論と同じ結論にいたっている。神経のネットワークが意識を生み出すためには、ネットワーク内での情報の統合が重要だという考えだ。

その理論から、意識を持たない脳の部位の例として、小脳と大脳基底核をあげている。どちらも、局所的には神経間の結合があるが、空間的に離れたニューロン間の結合がない(別の言葉でいうと、スモールワールドネットワークになっていない)から、局所的に処理された情報が全体に伝わらない。そのような、ネットワークには意識は宿らないだろうといっている。

それから、最終章にいたるまでのCycleで、抑制性のニューロンから構成されるスモールワールドネットワークに、いかに周期的な神経活動の振動が生じるかなどが詳しく書かれている。スモールワールドになっていない小脳には、だから振動はない(周波数の高い振動はあるようなことも書いてあった)。

それから、フィードバックのループによる時間を越えての情報の統合が意識の生成に不可欠だといっている。

まとめると、局所的な情報処理を全体で統合することが重要。そのようなネットワークはリズムのある神経活動をもち、利用している。だから、意識と振動の関係は深い。本全体を読むと、もっと微妙な議論をしているが、強引にまとめるとこういう結論だろう。

意識についてはさほど書かれていないが、VanEssenの「何で脳が決まった形に折りたたまれるかについての仮説」 とか、自分が知らなかった論文があちこちにでてくることが面白かった。


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心の哲学について

 

今日、なにげなくThe New Yorkerを読んでいたら、哲学者のChurchland夫妻についての記事があった。なんか、すごくかっこいい夫婦のように書いてあった。たぶん、本当にかっこいい夫婦なんだろう。

その記事にも書いてあったけど、意識の問題を解決するのは哲学者ではなく、NeuroscientistだとChurchlandは言っている。なんで脳を科学的に研究していくことが大事なのかを説明するための例え話がでてきた:

(引用開始)

"You're Albertus Magnus, let's say. One night, a Martian comes down and whispers, 'Hey, Altertus, the burning of wood is really rapid oxidation!' What could he do? He knows no structural chemistry, he doesn't know what oxygen is, he doesn't know what an element is – he couldn't make any sense of it. And if some fine night that same omniscient Martian came down and said, 'Hey, Pat, consciousness is really blesjeakahgjfdl!' I would be similarly confused, because neuroscience is just not far enough along."

(引用終了)

まだ、現代の脳科学は化学にとっての酸素のようなものを見つけていないのかもしれない。

自分の中で、意識を研究するための哲学的問題は、ひとまず「あまり気にしない」という方針だ。それはここでChurchlandが言っているように、Neuroscienceが根本的に進まないことには、あれこれ考えても解決しないだろうと思うからだ。そして、科学が脳に関する事実を積み上げ、それに平行した情報理論の発展から、意識の問題に迫るアイデアがでてくるだろう。

いまから7年前に、チャルマーズの『意識する心』 を英語で読んだ。そのときは、まだ意識を研究したいが、いったいどうしたらいいのかと思っていたときだった。まだ、世界でどんな研究がなされているか、把握できずに日々勉強していた頃だ。(まあ、状況は今も同じようなものかもしれないけど。)

チャルマーズは哲学的な視点から、意識は科学では解明できないと主張して、ハードプロブレムと呼んでいる。その根拠は簡単に言えば、「主観的感覚(クオリア)が物理学の法則から導かれる性質のもの(supervenient on the physical)ではない」ということだ。意識というのを一つの新しい物理法則として付け加えるべきではないかとも主張している。その拡張の一環として、汎神論を提唱している。つまり、あらゆる情報処理をしているものは意識があると見なすべきではないかというのだ。温度計は、温度のクオリアを感じていると考えようというのだ。

 

意識する心―脳と精神の根本理論を求めて Book 意識する心―脳と精神の根本理論を求めて

著者:デイヴィッド・J. チャーマーズ
販売元:白揚社
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この議論でいつも気になるのは、温度計のどこからどこまでが温度計なのかということだ。分子1つ1つにクオリアがあると考えるべきなのか?もし、水たまりに映る景色が、水たまりによって意識されているのなら、どこからどこまでが水たまりなのかを物理的に定義する方法が必要だ。何らかの方法で、統一された情報の受け手であるセルフを構築しなければ、クオリアを持っている主体が存在しない。だから、情報を統合して「主体」というものを構成することが意識が生まれるためには重要だろうと考えていた。

上のような漠然としたアイデアにすることしかできなかったが、Tononiが情報理論を用いて上のような問題意識に答えてくれるような、意識の情報統合理論を提案している(Tononi (2004) )。

クオリアの問題に挑もうと考えている人は、一度はチャルマーズを読んで絶望感と、こんなに身近にエキサイティングな問題が潜んでいたという喜びを味わっておくべきだろう。私には、一瞬すべてのニューロサイエンスが無力に思えた。でも、今ではまずは、blesjeakahgjfdlを探すところから始めることの方が楽しいだろうと思うようになった。



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アルファ波ってなに?

アルファ波っていう言葉を耳にしたことがあるかもしれない。リラックしているときなどに、脳からでているっていう脳波だ。アルファ波が存在することは間違えないが、神経科学者にとっては扱いにくく、やや謎めいた存在である。EEGの実験をしていると、疲れてぼーっとしてると出てるのがわかる。

アルファ波には、実はいろいろ種類がある。一番よく知られているのは、頭の後ろの視覚野からでているアルファ波と、それとは独立だといわれる前頭葉から出ているアルファ波がある。独立だという根拠は、同一人物のアルファ波でも、場所によって周期が違うからだ。

同じような脳波は運動に関わる脳部位からも、聴覚に関わる脳部位からも出ている。それらは、μ(ミュー)波、τ(タウ)波と別の名前が付けられているが、周波数的にも、機能的にも似ている。

これらの10ヘルツ前後の脳波は、それぞれの脳部位を活動させるような、入力がないときに現れる。ちなみにラットなどの夜行性動物には視覚野のからのアルファ波がないらしい。(BuzsakiのRhythms of the Brain より。)アルファ波は目を閉じると現れて、目を開くとブロックされる。同様に、τは音を聞くとブロックされ、μは運動をしようとするとブロックされる。つまり、どれも脳がアイドリング状態にあるときに出ているようなのである。

Libetの実験では、自分が自由意志に基づいて行動を起こそうとするよりまえに、脳波でReadiness Potentialというのが観測されるといっている。Libetは0.5秒前にReadiness Potentialが見え始めるということから、自由意志は自分が気づく前に既に決まっていると議論している。トライアルごとにReadiness Potentialから、無意識の意図を解読するというのは至難の業だが、μ波も同じような目的に使えるのではないか。ミューはのパワーは運動が始まる2秒前にすでに低下し始める。これはいかにも読み取れそうだ。Readiness PotentialはDCのシフトだから、けっこう難しいかもしれない。

さらに、視覚野のα波に関して、おもしろい仮説がある。アルファ波の一つ一つの波が心の中の一瞬と対応しているのではないかというかなりワイルドな仮説だ。これはかなり昔からある仮説で、さまざまな実験が過去にある。しかし、この理論を支持するデータもあれば(Varelaなど)、支持しないデータもあって、結論はでていない。詳しいことを知りたい人には、VanRullen & Kochのレヴュー をすすめる。

意味ありげで、昔から知られているアルファ波だが、いったいどういう仕組みでそのような振動が脳内で起きているのかはわかっていない。アルファ型の脳波が観測されるのは、主に視覚でいえばLGNのような外界との第一次中継点となっている視床の部位とつながっているところだ。そ れと、LGNへのフィードバックを切ると、アルファ波がなくなったというネコの実験もある。大脳視床間とのthalamocortical loopが深く関わっているということが言われている。Nunez (2000)のレヴュー も読むべし。

前頭葉のアルファ波にも、前頭葉の部位に対応した視床の核があって、特定の一次機能(思考や計画について、一次ってなんだろう)と対応しているのだろうか。


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V.S. Ramachandran

Phantoms in the Brain: Probing the Mysteries of the Human Mind Phantoms in the Brain: Probing the Mysteries of the Human Mind

著者:V. S. Ramachandran,Sandra Blakeslee
販売元:Quill
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自分が意識を研究したいと自覚するようになったきっかけは、Journal of Consciousness Studies という雑誌に、ラマチャンドランが書いてた、クオリアについての論文を読んだことだったとおもう。

当時は、哲学的な問題というのはすべて脳の問題になって科学的に探求するものになるだろうと直感的に感じていたが、まだクオリアという言葉に出会っていなかったから、その直感を表現することはできなかった。クオリアという言葉と出会ったことは、脳科学をそれまでやりたいと思っていたのは、これだったのかという人生で最も印象深い経験だった。

それでラマチャンドランのことを知りPhantoms in the Brain を読み始めた。当時、私はこれから科学者として上を目指すために、興味のある本はできるだけ英語で読むようにしていた。いまでも、この本のあちこちに、辞書を引いた後や、アイデアの書き込みがあって思いで深い本だ。

人類の存在に関わる重要な問題が、世界には三つある。宇宙がどうやってできたのか、地球に生命がいかにして生まれてきたか、そして、脳からいかにして意識が生まれてくるのか。意識というのは、これらの科学にとってのファンダメンタルな問題の一つなんだっていうパッセージを読んで、意識を研究するぞって決心したのをいまでも覚えている。

すごく人間の核心にせまる深い内容をもっているのに、ものすごく楽しんで読めるところがすばらしい。実際、学会とかでのトークはまるでコメディーのショーをみているようだ。

個人的な意見では、最近のラマチャンドランはSynesthesia (共感覚)とかばかりで、あまり面白くない。ラマチャンドランにかつて興奮した一方で、これからラマチャンドラン式のアプローチで、新しい発見はそれほど出てこないかもしれないとも思っている。一般の人々までを興奮させるようなおもしろいアイデアと現象を見つけることは、難しくなっているように思えるからだ。それでも、ラマチャンドランの文章力には圧倒的なものがある。

二冊目の本も読んだが、一冊目と割と重なっていてそれほど興奮はしなかった。


Brief Tour of Human Consciousness: From Impostor Poodles To Purple Numbers Brief Tour of Human Consciousness: From Impostor Poodles To Purple Numbers

著者:V. S. Ramachandran
販売元:Pi Pr
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Current Biologyでのインタヴューで、「いままでで最もよかったアドヴァイスはなんですか?」と聞かれて、それはフランシス・クリックからのアドヴァイスだとこたえている。その内容がこれ。

(転載開始)

First, the importance of sheer intellectual daring — chutzpah. It is better to tackle ten fundamental problems and solve one than to tackle ten trivial ones and solve them all! Fundamental problems are not necessarily more inherently difficult than trivial ones. Nature is not conspiring against us to make fundamental problems more difficult.

Second don’t become trapped in a small, specialised cul-de-sac just because you feel comfortable or your immediate peers reward you for it. Don’t strive for approval from the majority of your colleagues, but only for the respect of those few exceptional people at the top of your field whom you genuinely admire. And never listen to ‘experts’ — recall how both Erwin Chargaff and William Bragg strongly discouraged Crick from pursuing DNA!

(転載終了)

「重要な問題に対する答えを見つけることが、必ずしも、どうでもいい問題に答えるより難しいとは限らない。」というところがいい。

 

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ASSC-意識の学会

意識を研究している人たちが世界中から集まる、ASSC (Association for Scientific Studies of Consciousness) という学会がある。次回は、6月末でラスベガスで開催される(ASSC 2007)。参加登録はおそらく今月(2月)中だろう。

過去に3回参加したことがあるが、学会としてのクオリティーはどんどんよくなっているように思える。通常の学会と違うところは、かなり多方面の科学者や哲学者と意識について話し合うことができることだ。自分の専門でない分野で、どのようなアプローチで意識を研究しようとしているか見るのは、ものすごく勉強になる。

とくに、これから意識を研究したいと思っている人には、この学会にいって、まずどんな方法があるのか一通り見てみるというのも得策かもしれない。



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Connections to PFC

かつてCrick & KochはThe Frontal Lobe Hypothesisを提唱した。視覚情報が意識に上るためには、脳の計画モデュールである前頭葉、とくに前頭前野に直接つながっていなければならないという仮説である。この仮説に基づいてV1仮説なども導かれる。

Frontalの患者よりも、Parietalの患者で視覚意識が損なわれることが多いことから、あまりにおおざっぱすぎる仮説ではないかと感じていた。

最近読んだ論文に触発されて、もしかしたらもっと掘り下げて調べる価値があるのではないかと思った。

Tsushima et al. (2006)のScienceの論文では、まず閾値かの意識的には見えない運動刺激がバックグラウンドで提示されていると、同じ状況で意識的に見えているときよりもタスクを妨害するという現象が発見された。彼らは,さらにその原因をfMRIで調べて、LPFC(前頭葉の部位)が、運動刺激が意識に上っていないときには、意識下の妨害信号を抑制することができなくなっていることをしめした。ものすごく明快な論文だ。

これを読んで、The Frontal Lobe Hypothesisを再考させられた。PFCが利用できる信号を送ることは感覚信号が意識に上らないか上らないかを決定する要因なのかもしれない。


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「意味」とは何か?

意識の問題がおもしろいのは、クオリアとよばれる、赤の赤らしさといった主観的感覚に意味が付随していることだ。「意味とは何か?」と哲学的に議論していくことは、一人一人がその問題に対しての態度を決める過程では必要なことだろうが、それは脳科学の素人でもできることだ。もし、すべてを解決するようなアイデアが出てくればいいが、この問題は人類が何百年も考えてきたことだから、新たなとっかかりなしでは、一筋縄ではいかないと考えるべきだろう。

脳内に意味(あるいはクオリアでもいいが)が生まれる過程で、感覚情報の表象だけではなく、そこからの出力や行動が重要な役割を果たしているだろうという考え方がある。

その一つの考え方で気になっているのが、deCharms & Zador (2000)のコーディングの問題に関するレヴュー論文の前半で提示されている問題だ。

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この概念図では、Aという入力があって、B1とB2はどちらも意識と対応した反応を示している。つまり、どちらもクリックとコッホの言葉で言えばNCCなのである。しかし、B1の情報はCという行動モデュールに伝わるが、B2の情報はただそこにあるだけで出力をもっていない。このような状況を考えたときに、B2に意識があると言えるだろうか。もしかしたら、A-B-Cのすべてがそろった状態で初めて意識が可能になるのではないか。

ここでのCは行動(運動)に限らず、一歩後の情報処理ステージと考えてもいいだろう。

こででB1とB2をMTだと考えると、B2のように出力のない状態でもそれだけでmotionのクオリアが形成されるだろうか。

O'ReganとNoeの提唱したSensorymotor account of consciousnessという理論がある。これは簡潔にいうと、主観的感覚の持つ感触は、自分の起こす運動(手を伸ばすとか、目を動かして右をみるなど)に伴って変化する感覚入力のパターンを学習に基づいているという考え方である。感覚運動学習によって、感覚刺激が「行動上の意味」を持つことができるようになるということだ。

たしかに、脳がクオリアを持つようになるために、出力系は必要だろう。ただし、一度、学習が完成して適切なネットワークが組み上がった状態では、まったく動けなくなったロックドインシンドロームの患者なども、感覚入力だけでクオリアを持つだろう。


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意識の測り方

Nature Neuroscienceの最新号に掲載されているPersaud et al. (2007) の論文で、客観的に意識を測るメソッドというのが発表されている。

今までは、刺激が見えたか見えなかったかなどを被験者に「どのくらい自信をもって答えているか」を直接質問することで、刺激が意識にのぼったかどうかを調べるのが主流だった。単に、正答率をみるだけでは、意識にのぼらずとも、正しいこたえを選ぶ、ブラインドサイトの状況があるので、正答率がかならずしも意識と対応しないことからそのような間接的な方法が必要だった。

Persaud et al. (2007)の論文では、直接質問する代わりに、その自分の答えに対してお金を賭けさせるというものだ。そうすることで、被験者に自分の意識状態について意識させずに、意識的にみえたかとか、なにかに気づいたかなどを調べることができる。

最初にこれを読んだときの感想は、「自信」を直接聞くこととくらべて、あまりメリットかないように思えた。しかし、論文中にあるアイオワ・ギャンブリングタスクは、被験者が気づいたかと直接聞いてしまうと、そのことで被験者が気づいてしまって、無意識のうちに徐々に気づき始めている状態をとらえることが難しい。Persaudの提案したPost decision wageringの方法では、そのような問題が生じない。ここが、この方法がこれまでの方法よりも優れているところだろう。

同じ号にKoch & Preuschoffがコメントしている。

『意識の探求』で紹介したトレース条件付けも、意識(気づき)を調べる方法だが、post decision wageringで測れる気づきと対応しているだろうか。

動物でpost decision wageringのような実験ができれば、さらに動物で意識を研究することが可能になる。

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Attention versus Awareness

日常の経験からAttention(注意)が意識的な知覚に必要だというのは自明なように思える。だが、注意と意識することというのは、同じ現象をさしているのだろうか。

このテーマについて、少なくとも主要なレヴューが3つある。意識の機能が何かを理解する上でキーとなる重要なテーマだ。主要なレヴューとしては、Koch & Tsuchiya (in press)Dehaene et al. (2006)Lamme (2004) があげられる。初心者はこれらを読むことから始めるといいだろう。

実験で注意と意識の関係を調べた研究では、Naccache et al. (2002)Melcher et al. (2005)Kentridge et al (2004) のBlindsight患者での研究、Kanai et al. (2006)Summer et al. (2006) が主要な論文である。

fMRIの実験などで、意識的知覚に対応した活動を見つけようとすると、その効果が知覚の成立に伴うものなのか、注意によって引き起こされるのかの区別が難しい。今後、注意と知覚を区別することは視覚意識を研究するものにとって、ますます必須条件となっていくだろう。


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