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「意味」とは何か?

意識の問題がおもしろいのは、クオリアとよばれる、赤の赤らしさといった主観的感覚に意味が付随していることだ。「意味とは何か?」と哲学的に議論していくことは、一人一人がその問題に対しての態度を決める過程では必要なことだろうが、それは脳科学の素人でもできることだ。もし、すべてを解決するようなアイデアが出てくればいいが、この問題は人類が何百年も考えてきたことだから、新たなとっかかりなしでは、一筋縄ではいかないと考えるべきだろう。

脳内に意味(あるいはクオリアでもいいが)が生まれる過程で、感覚情報の表象だけではなく、そこからの出力や行動が重要な役割を果たしているだろうという考え方がある。

その一つの考え方で気になっているのが、deCharms & Zador (2000)のコーディングの問題に関するレヴュー論文の前半で提示されている問題だ。

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この概念図では、Aという入力があって、B1とB2はどちらも意識と対応した反応を示している。つまり、どちらもクリックとコッホの言葉で言えばNCCなのである。しかし、B1の情報はCという行動モデュールに伝わるが、B2の情報はただそこにあるだけで出力をもっていない。このような状況を考えたときに、B2に意識があると言えるだろうか。もしかしたら、A-B-Cのすべてがそろった状態で初めて意識が可能になるのではないか。

ここでのCは行動(運動)に限らず、一歩後の情報処理ステージと考えてもいいだろう。

こででB1とB2をMTだと考えると、B2のように出力のない状態でもそれだけでmotionのクオリアが形成されるだろうか。

O'ReganとNoeの提唱したSensorymotor account of consciousnessという理論がある。これは簡潔にいうと、主観的感覚の持つ感触は、自分の起こす運動(手を伸ばすとか、目を動かして右をみるなど)に伴って変化する感覚入力のパターンを学習に基づいているという考え方である。感覚運動学習によって、感覚刺激が「行動上の意味」を持つことができるようになるということだ。

たしかに、脳がクオリアを持つようになるために、出力系は必要だろう。ただし、一度、学習が完成して適切なネットワークが組み上がった状態では、まったく動けなくなったロックドインシンドロームの患者なども、感覚入力だけでクオリアを持つだろう。


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