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お金のクオリア

いま、ロンドンにいる。自分にはポンドという通貨に対するクオリアがないと気づいた。頭の中で2倍して、ドルに換算したお金で高いのか安いのか判断している。バーガーキングが4ポンドだったけど、8ドルだと思うと高いなと感じる。でも、ポンドのままだと判断できない。同じことを、ユーロに変換するとそれほど高いとは感じない。自分のなかでユーロとドルに対しては、日常の経験からクオリアというか、独特の5ユーロとか12ドルといったときの物価に対する感覚みたいなのがある。でも、ポンドにはそれが感じられない。ポンドで生活したことがないからだろう。自分の知っているものに変換しないと理解できないもの認知は、直接的でないからクオリアはないというべきだろう。

むしろ、そういう感覚というのは、そのお金で何が買えるかとか今までなじみの通貨でコーヒー一杯いくらぐらいだったかとか、そういう知識の総合としてお金の感覚になっている。クオリアというのはそういうものかもしれない。なじみがあって、そこから様々な情報を引き出せる状態になって、クオリアを獲得するのではないか。

さらに、お金というのは主観的なものだと思った。たいてい、日本円に換算するとすごく高く感じられる。なんでかというと、いままで、日本円でお金を稼いだことがないから、いまだに一万円というのは、ものすごく大金に感じられる。日本円についての自分のクオリアは子供のままだ。子供は一万円札に恐れ入ってしまうが、いまだにそういう感覚を引きずっている。でも、100ドルというのは、日本円に換算すると一万円以上のはずなのに、同じような感覚(クオリア)は生じない。理不尽だけど、主観的な感覚だからしょうがない。

経済学はクオリアというか、主観的な金額に対するインパクトのようなものを考慮しているのだろうか。お金の価値が何かということを考える上で、重要な要素のように思える。

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default mode network

基本的に興味があったわけではないけれど、default mode networkというのが、人と話してたりするとときどき出てくる。

PETやfMRIで脳活動をみると、休憩してるときの方が、頭を使うことをしているときも活動してる部分があるらしい(Raichle et al. 2001 )。そのような部位をまとめてdefault mode networkと呼んで、medial prefrontal cortexとposterior cingulate cortexが主な部位だ。

基本的に、いままでdefault mode networkのことはほとんど気にしてなかったが、Hampson et al. (2006) を読んで、もしかしたら根本的なアイデアが間違っているのではないかと思った。default mode networkについて詳しい訳ではないから確信はないが、メモのつもりで書いておく。

思ったことというのは、「もしかしたら、default mode networkはタスク中に活動を下げているのではなくて、thetaのpowerをあげて機能することで、逆にメタボリズムを下げているのではないか?」ということだ。Hampsonの論文のイントロでそういう可能性が議論されている。

まずrodentでhippocampusのthetaがあがるとメタボリズムが下がるということが実験で示されている(Uecker et al. 1997 )。

Frontal thetaがworking memory task中に上がるというのは、いくつか報告がある(Gevins et al. 1997Jensen & Tesche 2002 )。さらに、dipole estimationをするとこのthetaはmedial PFC/ACCが由来のようだ(Gevins et al. 1997 , Asada et al. 1999)。

だから、thetaによって機能的には上がっている状態なのに、メタボリズムで見るとタスク中には活動が下がっているように見えるのではないか?

あと、よくわからないのはfMRIでhippocampusを見てるペーパーでhippocampusが関わるタスクをしてると、fMRIで見た活動があがっていることを示してる論文が多いと思うのだけど、下がっているケースもある。

Theta waveの増強によってBOLDの減少が起きるのだろうか?あるいは、部位ごとに起きる場所とそうでない場所があるのか。そのへん詳しい人、教えてください。

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ヘビはなぜ怖いか?

以前紹介したTemple GrandinAnimals in Translation という本でおもしろい話があった。

なぜサルはヘビを怖がるのか?スタンダードな考え方は、おそらく次のどちらかだろう。

① 進化の過程で脳のなかにヘビのようなひょろ長いものを恐れるような回路が出来上がっっている。とくにアミグダラ(扁桃体)などで、ヘビに反応する回路が生まれながらできている。

② 個体ごとに、過去のヘビとの接触した経験から、ヘビは恐いと学習した。

どちらも、ありそうな話だが疑問が残る。①の場合は、そもそもDNAにヘビとはどういうものかという情報が何らかの形で刻み込まれていなければならない。例えば、視覚野のヘビ風の特徴をコードすることになるエリアからアミグダラへのニューロンの結合を促進するなどのことが起きる必要がある。そもそも、どこまで詳細な情報を遺伝のレベルで脳に刻み込むことができるのかがよくわからない。

一方で、②だとしたら、生存には適さないだろう。毒蛇に噛まれてから学習したのでは遅いから、生まれながらにヘビを怖れていたほうが、生き延びる確率は高いだろう。

おそらく、多くのひとはサルのアミグダラは生まれながらにヘビというものを知っていると考えているのではないだろうか。

Animals in Translation で出てきた話で面白かったというのは、実験室で育てられたサルはヘビを怖がらないが、野生のサルはヘビを怖がるということだ。Susan Minekaという人が、そのことについて研究していて、わかったことは、サルはヘビが恐いということを他のサルがヘビを怖がっているのを見て学んでいるということだ(参考用のレヴュー)。

これには、驚いた。ちょっとしたサルの文化みたいなものじゃないか。それでも、①の仮説がまったく間違っているという訳ではないようだ。ビデオでヘビを怖がっているサルを見せると確かにヘビを怖がるようになるのだが、編集してサルが花を怖がっている場面を見せても、花を怖がるようにはならないらしい。だから、もともと脳の中に怖いものとして認識される要素がなければ、観察によって恐怖を学ぶということは起きないと論じている。

この話を読んで、ビデオを使って理不尽な病的な恐怖を人から取り除くこともできるのではないかというアイデアが浮かんだ。脅迫神経障害の治療法では、薬で治療するのと、行動療法といって自分が嫌な環境をあえて体験してなれていく方法があるが、ビデオ療法が効果があれば一番楽で安全に恐怖心を克服できるのではないか。

それから、ヘビの問題は、もっと一般的な問題と結びついている。とくに気になるのは、どうやって生物は異性を認識できるのか。赤ちゃんでも、男と女の顔の区別ができるようだし、好みさえあるらしい。それは、かなり微妙な違いを見つける仕組みが遺伝子レベルで組み込まれていないといけないように思える。意外と、単純なワイアリングで可能なことなのかもしれないが、そうだとしてもそれを示さなければならない。

女の子をみてかわいいって思うのは、どこまでが脳の中に最初から組み込まれていて、どこまでが学習なのか。脳の中にそこまで繊細な違いを識別する方法が最初から組み込まれているのだろうか。生物にとっては重要なことだ。

あるいは、周りの人の反応を観察することで、自分の好みとか恐怖の対象も変わってしまうのか。社会心理学などでは、よくあるテーマだろう。でも、他人を観察することで自分の感情的な物事に対する評価が変化してしまうというのは、文化を脳という観点から考えるときに重要だし、CMなどで人々に影響を与えることを仕事にしているひとにとっても重要だろう。

このような学習をobservational learningという。テレビで暴力的な映像を流すことで、子供たちが凶暴になるのではないかという文脈でよく出てくる。observational learningがあらゆる場面で起きていることは間違えないが、実際に精神病の治療に役に立つような効果があるかは、実験で確かめる必要がある。興味を持った人は、ぜひ実験をしてほしい。


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時間と記憶と前頭葉

ここしばらく毎日、時間の長さをどうやって脳が計算しているかというテーマについての論文を読みあさっていた。例えば、「3秒待っててくれ」といわれて、「3秒たった」とわかるというのはどういうことなのか。

クリストフ・コッホは意識の探求の中で、3秒まってから反応するという一見単純なタスクが、「意識のチューリングテスト」として、動物などに意識があるかどうかテストするのに使えるかもしれないと提案している。

時間の知覚の過去の研究から「3秒」というのは脳にとって「0.5秒」とは全く違う別の測る仕組みを必要とすると考えられている。Lewis & Miall (2003) のレヴューでは、3秒のタスクにはright PPCとrightDLPFCが関与していて、0.5秒の方はSMAや小脳などが関与しているとうイメージングのデータがまとめてある。脳にとって3秒というのは長時間で、その間の情報を統合するのに注意やワーキングメモリの機能が必要になるとうのはあまり驚きではないかもしれない。

でも、DLPFCの右だけがこの3秒タスクに重要だというところが面白い。TMSの実験でも右にrTMSをするとreproduction(刺激の出てた時間を、呈示後に自分でボタンを同じ長さだけ押すタスク)が、短くなるが、左のDLPFCでは変化がない(Jones et al. 2004 )。(Rao et al. (2001) のイメージングも参照)SMAの刺激は効果がなかったとしているが、ちょっと解析の仕方に不満があるから、いまのところこの結果は自分のなかで保留。それとVallesi et al.の論文でもrDLPFCへのTMSが時間感覚へ影響を及ぼすことを示している。Vallesiの論文ではforeperiod effectという効果を利用してimplicit(潜在的な)時間感覚を調べている。この手法は今後使えそうだ。どういう効果かというと、刺激が出たらできるだけ早くボタンを押してくれといわれていて、待ち時間が長いと、反応時間が短くなるという効果だ。単純だけれど、ShadlenなどがLIPでの時間処理をhazard functionだと解釈していることなどと整合性があって、computationalなモデルにしやすい実験系だと思う。

それから、3秒を頭のなかで数えている間に、他のことに注意をむけると干渉が起きるかという心理学の実験がものすごい数の論文になっている。とく重要なのが、Fortin et al. (1993) だ。2秒間たったらボタンを押すというタスクで、その間にVisual search(注意を使うタスク)をしても主観的時間の長さは変わらないのに、Sternberg task(たとえば、プローブとして見せられた1文字が、記憶の中の3文字に含まれているかを答えるタスク)では、ボタンを押すまでの時間が長くなる。これは、注意よりは、ワーキングメモリの操作が時間感覚に影響を及ぼすことを示している。そのあとにも、Fortinたちはこの系でたくさんの論文をだしている。ここに書いたproductionのタスク以外にも、encoding中でも同じ結果になることが示されている。

ただ、Fortinのタスクは、時間を評価中に、メモリーに情報を蓄えておくことと、その情報を操作することの両方を要求するから、両方の要素が影響しているようだ。Field & Groeger (2004) は、その区別を付けた実験をして、どのような情報をワーキングメモリに蓄えていると時間のestimationに影響がでるか調べている。音の高さや、時間の長さをワーキングメモリに保持していると影響がでるが、timbre(日本語でいうと何?)やluminance(日本語でいうと輝度)を覚えていても影響は出ないらしい。

もうすこし、顔とか空間の位置とかワーキングメモリのイメージングをしている人が使ったような刺激に対するメモリーと比較すれば、PFCの中での位置関係が干渉関係と対応しているか調べることができるだろう。

それから、3秒タスクはラットでそうとうやられていて、ラットはできるからきっと意識があるんだろう。今のところ読んでいるのは薬理学的な実験ばかりだが、電気生理学的手法と組み合わせたらそうとう強力な実験系だ。今のところ読んでる論文では、basal gangliaとfrontal cortexの関係の話が多い。まだ全貌が見えてこない。もうしばらく勉強の必要あり。最近、久しぶりに仕事もせずにひたすら論文を読見続けていて楽しかった。たまには、一週間読み続けるだけの週がほしい。


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Healing Grid

ようやく、この前の視覚と聴覚の間での同時性が変化するというイリュージョンのペーパーが書き終わった。あれをを書くのは、かなり苦しかった。

EEGで、Fristonのeffective connectivityの解析をしてみたが、どうもfrontalとparietalの間では何かありそうだったけど、解釈できないからとりあえずEEGを取り込むのはあきらめた。もう少し解析を続けて、素直な結果が出たら書くとしよう。

次に書くイリュージョンは、Healing Gridだ。

Grid_max8

どういうイリュージョンかというと、まず中心ではグリッドが規則的にきっちりしているのに、周辺はグリッドが切れ切れで、まっすぐではない。にもかかわらず、この模様の中心をじっと見つめていると、ぐちゃぐちゃだった周辺のグリッドが徐々に整って、まっすぐのグリッドになる。

まあ視覚のことを知っている人にはそれほど驚きではないかもしれない。それでも、なんでそんなことが起こるのかということを書いて一応公式にこのイリュージョンを発表しようと思う。

このイリュージョンは、2005年のスペインでのイリュージョン大会でベスト10に入った。

このヒーリング・グリッドから派生したイリュージョンで、こういうやつも作った。

Ring

この円も、途切れているが、じっと見ているとまんまるになる。しかも、これの残像もまんまるだ。試してみてほしい。









そういえば、Healing GridはAl Seckelというイリュージョンを集めている人の本にものせてもらった。


Optical Illusions: The Science of Visual Perception (Illusion Works) Optical Illusions: The Science of Visual Perception (Illusion Works)

著者:Al Seckel
販売元:Firefly Books Ltd
Amazon.co.jpで詳細を確認する


近所のBORDERSという本屋でコーヒーを待ってる間に、何気なく開いたら、自分のイリュージョンが出てて驚いた。たしかに、本に載せていいですという同意書にサインして送った記憶がある。本に出してもらえるのはうれしい。でも、もっとわかりやすいイリュージョンと比べると、あまりインパクトないな。


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Deep TMS

深いところを刺激するTMSというのがあるらしい。

Brainsway という会社が開発している。すぐに、みんなが使うようになるわけではないだろうけど、深いところこそ刺激したら面白そうな場所がたくさんある。


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動物の心と自閉症

いま、Temple Grandinという人の、Animals in Translation という本を読んでいる。

Animals in Translation: Using the Mysteries of Autism to Decode Animal Behavior Book Animals in Translation: Using the Mysteries of Autism to Decode Animal Behavior

著者:Temple Grandin,Catherine Johnson
販売元:Scribner
Amazon.co.jpで詳細を確認する


日本語では、『動物感覚』というなかなかいいタイトルがついている。

動物感覚―アニマル・マインドを読み解く Book 動物感覚―アニマル・マインドを読み解く

著者:テンプル グランディン,キャサリン ジョンソン
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する


実際には、読んでいるというよりは、本の朗読をダウンロードしてiPodで聴いている。この本には、なかなか面白いことが書いてある。

まず、この著者は自分が自閉症だと自ら認めていて、だからこそ動物の気持ちがわかると言っている。これは、自閉症と「心の理論(Theory  of Mind)」の関係を知っている人にとっては、変な感じがするだろう。自閉症の人は、他人の気持ちを理解・推測する能力に欠陥があるという仮説だ。人の気持ちよりも、動物の気持ちの方がわかるというのはどうも難しいように思える。

著者は、この本のなかで、何度も動物と自閉症の類似点を指摘している。細部に注意が向くことや、生活環境の変化を極端に嫌うこと、痛みに対する反応が普通の人間に比べて小さいことなどだ。逆に言えば、動物というのは自閉症のようなものだということになる。

この本ででてくる、痛みについての話がおもしろい。アントニオ・ダマシオのDescartes' Error にも出てくる話だ。昔は、痛みに苦しんでいる人(疼痛)の前頭葉に切れ目を入れる手術というのをしていたらしい。元の論文をみていないから、詳しいことはわからないが、前頭葉の一部をとってしまうというよりは、つながりを切ってしまうような手術らしい。

そのような手術を受けた人は、痛みというのは感じるのだが、痛みに対する不快感が減少するらしい。痛みと不快感というのは切っても切れない関係のようだが、脳を切れば切れるらしい。

これで、面白いと思うのは、痛みのクオリアそのものは変わっていないようだということだ。痛みに伴う不快感のクオリアがなくなったともいえるかもしれないが、おもしろい状況だ。

痛みとprefrontal cortex (PFC)の関係というのは至る所にでてくるが、よく知らない。少し調べてみると、Caseyというミシガンにいる人の研究では、DLPFCが中脳の活動を抑えることで、痛みの感覚を減らすという機能をもっているらしい。スポーツに集中してて、怪我の痛みに気づかないとかは、こういう状況だろう。この抑制はこの前のTsushima論文などとも通じるところがある。このことから、DLPFCをきっても、痛みはなくならないどころか、抑えることができなくなってしまう。

むしろ、痛みと直接関係しているのは、ventromedial OFCらしい。おそらく、切断されているのはOFCへのコネクションだろう。

痛みの話の他にも、行動学の視点から犬のしつけの仕方とか書いてあって面白い本だった。

それから、著者が18歳の時にスキナーという行動主義の代表のような人を訪ねて、緊張しながらハーバードまで会いに行ったら、セクハラにあったみたいなことも書いてあった。スキナーはただのエロオヤジなのか。

あと、セロトニンとボスサルの関係についての話もおもしろい。セロトニンが脳内に増える薬をあたえると、ボスサルになるらしい。人間もプロザックを飲めば、ボスとしての品格がもてるようになるのだろうか。

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E-text

さっきの、William Jamesが読めるサイト、とても気に入った。いろいろ読める。

http://www.bauddha.net/_e-text/index.html#index

とくにダーウィンが読めるところがいい。最近、紙媒体の本だとサーチがかけられなくて、不便だと感じることも多いから、こういうのはとてもいい。

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Psychophysicsのネタ本

私の視覚の研究では、心理物理学(psychophysics)という手法を使っている。といって、これは手法というようなものではなくて、武器なしで戦うドラクエでいうところの武闘家みたいなものだ。しかも武闘家らしくすばやい。つまり、ものすごくプロジェクトの展開がはやい。武器なしだから、お金もかからない。頭の良さよりは、とんちみたいな部分がおおくて、小説家というよりは、詩人みたいな身軽さだ。

学会にいって、人の発表をみると、ほとんどのことが最近の論文とかから一歩進んだところにあるぐらいか、あまりに無関係で興味がわかないようなものが多い。あまりにたくさんの人が同じことに興味をもって、同じようなことをしている。

だから、競争になる。かなりの論文が、同じアイデアは思いついてたけど、そこまでやる時間がなかったから、他の人がやってしまったということが多い。新しい論文を見て、そこからちょっと発展させてやるような研究は、意義のあるものは単純に競争だし、意義のないものはやるだけ時間のむだだ。

となると、普通に研究してもおもしろくない。競争か無意味かの選択肢ではやるきもなくなるというものだ。他人が思いつかないような独創的なアイデアを持てば良い。

というのは、簡単だが、どうしたら単純競争ではない、自分独自のアイデアを持つことができるのか。そのためには、自分独自のパースペクティブ(問題意識)を持つことが大切だろう。多くのアイデアは、最新の論文から得ることもできるし、最新の論文というのも知らなければいけないけれど、それだけでは、他人との情報の相関が高くなってしまう。つまり、自分だけがもっている情報ではないから、そこからはそこまで独自のアイデアというのはでてこない。それをさけるにはどうすればいいか。

そういうときに古典を読むといいようだ。心理学の古典を現代の神経科学の知識をもって読むと、アイデアの源になる。特におすすめなのがWilliam JamesのThe Principles of Psychologyだ。

 

The Principles of Psychology Book The Principles of Psychology

著者:William James
販売元:Dover Pubns
Amazon.co.jpで詳細を確認する

Principles of Psychology Vol.2 Book Principles of Psychology Vol.2

著者:William James
販売元:Dover Pubns
Amazon.co.jpで詳細を確認する



なんと言ってもあらゆるテーマを網羅している。アテンションの一節は特に有名だが、セルフ(自己)の問題についてや、時間知覚、記憶についてもいろいろなアイデアが書かれている。さらに、リアリティとはなにか、理性、本能、情動、自由意志などおもしろいことがたくさん書いてある。

明らかに、昔の本だから、現代の視点からは物足りないこともあるかもしれない。そのかわり、人間として人間の何を知りたいのかという問題意識を育てるのに役に立つ。

Helmholtzの本は、binocular rivalry中に知覚を自由にコントロールできると主張していることで有名だが、あまりアイデアの源にはならない。そのbinocular rivalryをどうやってコントロールしているのか知りたくて、目を通したけれど、たんに一生懸命、線の数を数えれば、一方だけを見続けることができた、などと書いてあるだけだった。あまりお勧めできない。

Kohler & Wallachの昔のfigural after-effectsの論文は今でもアイデアの源になる。あとそれほど昔ではないがDavid MacKayという、視覚のpsychophysicsをやったいる人がいる。たぶん、このひとがillusion発見王だろう。昔ということもあるが、現代の研究のテーマになっているようなこと(フラッシュラグなど)を数多く発見している。実は、MacKayがNatureに出した後、それほど一般にはやってないようなテーマもある。そういうのを現代版に焼き直して、神経科学と結びつく実験をすることでオリジナルな研究になることもあるだろう。

ちなみに、いまちょろっと調べたら、この本は買わなくてもウェブ上で読めるようです。


心理学原理へのリンク

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Adaptive surround ...

やや気になった論文がこれ Huang, Albright & Stoner (2007) Neuron

non-classical receptive fieldのsurround modulationが、いつもsuppressionになるのではなくて、classical receptive fieldの外の刺激が、内側の刺激のapeture problemを解消する時には、integrativeに機能するという話しだ。

center-surround organizationはfigure groundなどオブジェクトのsegregationに役に立っているという考えからすると、期待されていたことではあるが、electrophysiologyで実際に示されると、とても気になる。

現象の発見自体には驚きは少ないが、実際にどんな風にニューロンがつながってたらこんなことができるのかと考え始めるとよくわからない。これを理解するのに役立つニューラルモデルは作れるか?そのようなモデルが作れれば、形とモーションのバインディングの問題の理解も深まるのではないか。

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パイナップルのクオリア

先日、Peter Tseがカルテクに来ていた。ピーターと土谷と下條ラボの人々とリトル東京で焼き鳥を食べながら、意識についてあれこれと話した。結局、土谷とは朝の4時まで話してた。

気になるテーマはたくさんでてきたけれど、ここで意識に関係あることにしぼって書くと、「顔はクオリアか?」とか「パイナップルの味はクオリアか?」という一件単純な疑問に答えることが難しいということがある。

クオリアというと、「赤の赤らしさ」とかいう説明で、情報の主観的側面を指す用語なんだなどと、なんとなくわかったような気でいるが、よくわからない。どこからどこまでがクオリアなのか。

視覚に関していえば、低次の特徴、色や形なんかをクオリアというのはわかる。模様とかに対しても、クオリアって言っていいのだろうか。もっと高次の顔はどうか。知っている人の顔をみると、その人のらしい顔だとか感じることができる。そういう意味ではクオリアなんだろうと思う。

何かを認識できるものを持ってきて、「これはクオリアか?」といって簡単に答えることができないのは、単に言葉の問題である可能性が高い。つまり、科学者にとっては意味のない疑問なのかもしれない。でも、なんらかの基準で顔の認識がクオリアかと判断できないのであれば、クオリアという言葉自体に意味がなくなってしまう。

ピーターは、クオリアの条件はirreducibilityだろうといっていた。これ以上低次のものに還元できない感覚がクオリアだという考えだ。でも、顔はどうなんだろうか。目とか口に還元したら、やや顔らしさはなくなると考えるべきなのか、それとも還元できるからクオリアではないと考えるべきなのか。

同じように、A意識とP意識も、わからなくなることが多い。でも、自分にとってA意識とP意識は、実験を考えるときに、抽象的なレベルで役に立っている。でも、顔がクオリアかというのも、突き詰めて考えると、実験する科学者にとって意味をもつ概念になるだろうか。


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このブログについて

脳と意識についてのブログへようこそ。

このブログでは、脳や意識に興味がある人や、これから勉強したいという人たちに役に立つ、本や論文や新発見などを紹介していこうと思っています。

京大時代からのライバルかつ親友の土谷とクリストフ・コッホの『意識の探求』という本を翻訳してから、いろいろな人に、「意識の研究をしたいと思うのだが、どこから始めたらいいか」という質問を受けた。僕自身も、京大を卒業する直前あたりに、「意識を研究したい!」と思い始めたけど、すぐにどこから読み始めていいのかわからず、とにかくいろいろ読んで考えた。ある意味、たんに我武者らにがんばっていて、それはそれで良かったが、もう少し系統的に多くのことを、勉強する機会があったらと感じた。そもそも、大学の学部の授業で脳を教えてる授業なんてほんの少ししかなくて、とにかく独習するしかなかった。

その経験から、いまその状況にいる人たちに役に立つことを書きたい、というのがこのブログの発端です。

いまはアメリカのカリフォルニア工科大学というところでポスドクをしています。ほぼ、毎日地下で実験したり、論文を書いたりしています。主な研究のテーマは、視覚と時間感覚についてです。

金井良太


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