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お金のクオリア

いま、ロンドンにいる。自分にはポンドという通貨に対するクオリアがないと気づいた。頭の中で2倍して、ドルに換算したお金で高いのか安いのか判断している。バーガーキングが4ポンドだったけど、8ドルだと思うと高いなと感じる。でも、ポンドのままだと判断できない。同じことを、ユーロに変換するとそれほど高いとは感じない。自分のなかでユーロとドルに対しては、日常の経験からクオリアというか、独特の5ユーロとか12ドルといったときの物価に対する感覚みたいなのがある。でも、ポンドにはそれが感じられない。ポンドで生活したことがないからだろう。自分の知っているものに変換しないと理解できないもの認知は、直接的でないからクオリアはないというべきだろう。

むしろ、そういう感覚というのは、そのお金で何が買えるかとか今までなじみの通貨でコーヒー一杯いくらぐらいだったかとか、そういう知識の総合としてお金の感覚になっている。クオリアというのはそういうものかもしれない。なじみがあって、そこから様々な情報を引き出せる状態になって、クオリアを獲得するのではないか。

さらに、お金というのは主観的なものだと思った。たいてい、日本円に換算するとすごく高く感じられる。なんでかというと、いままで、日本円でお金を稼いだことがないから、いまだに一万円というのは、ものすごく大金に感じられる。日本円についての自分のクオリアは子供のままだ。子供は一万円札に恐れ入ってしまうが、いまだにそういう感覚を引きずっている。でも、100ドルというのは、日本円に換算すると一万円以上のはずなのに、同じような感覚(クオリア)は生じない。理不尽だけど、主観的な感覚だからしょうがない。

経済学はクオリアというか、主観的な金額に対するインパクトのようなものを考慮しているのだろうか。お金の価値が何かということを考える上で、重要な要素のように思える。

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コメント

この記事、共感できました。でも、一つだけ、貴方と違うところがあります。

私は米国生活が長く、貴方と同じく、基本的にUSDでしか稼いだことがありません。しかし、私にとって、$100の方が1万円より高く感じるのです。

それは多分・・・
1)米国では多額の現金を持ち歩かない。$100札はもちろん(?)、$100なんて多額(?!)、普段、持ち歩かないですよね。でも、日本だったら、数万円、平気で財布に持ち歩いている。

2)1万円より$100の方が「長持ち」する・・・と思う。

これからも色々面白い話し、読ませて下さい。:)

投稿: T | 2007年5月 4日 (金) 08時29分

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