« このブログについて | トップページ | Adaptive surround ... »

パイナップルのクオリア

先日、Peter Tseがカルテクに来ていた。ピーターと土谷と下條ラボの人々とリトル東京で焼き鳥を食べながら、意識についてあれこれと話した。結局、土谷とは朝の4時まで話してた。

気になるテーマはたくさんでてきたけれど、ここで意識に関係あることにしぼって書くと、「顔はクオリアか?」とか「パイナップルの味はクオリアか?」という一件単純な疑問に答えることが難しいということがある。

クオリアというと、「赤の赤らしさ」とかいう説明で、情報の主観的側面を指す用語なんだなどと、なんとなくわかったような気でいるが、よくわからない。どこからどこまでがクオリアなのか。

視覚に関していえば、低次の特徴、色や形なんかをクオリアというのはわかる。模様とかに対しても、クオリアって言っていいのだろうか。もっと高次の顔はどうか。知っている人の顔をみると、その人のらしい顔だとか感じることができる。そういう意味ではクオリアなんだろうと思う。

何かを認識できるものを持ってきて、「これはクオリアか?」といって簡単に答えることができないのは、単に言葉の問題である可能性が高い。つまり、科学者にとっては意味のない疑問なのかもしれない。でも、なんらかの基準で顔の認識がクオリアかと判断できないのであれば、クオリアという言葉自体に意味がなくなってしまう。

ピーターは、クオリアの条件はirreducibilityだろうといっていた。これ以上低次のものに還元できない感覚がクオリアだという考えだ。でも、顔はどうなんだろうか。目とか口に還元したら、やや顔らしさはなくなると考えるべきなのか、それとも還元できるからクオリアではないと考えるべきなのか。

同じように、A意識とP意識も、わからなくなることが多い。でも、自分にとってA意識とP意識は、実験を考えるときに、抽象的なレベルで役に立っている。でも、顔がクオリアかというのも、突き詰めて考えると、実験する科学者にとって意味をもつ概念になるだろうか。


自分のサイト

 

にほんブログ村 科学ブログへ ←もし、このブログが役に立っていたら、これをクリックしてください。

 このブログのランキング

|

« このブログについて | トップページ | Adaptive surround ... »

「メモ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/207912/5543444

この記事へのトラックバック一覧です: パイナップルのクオリア:

« このブログについて | トップページ | Adaptive surround ... »