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Causalityと空

ずいぶん前から気になって、勉強していることのひとつにCausality(因果性)と情報の関係がある。

自分の基本的スタンスとして、汎心論(panpsychism)は妥当な考え方だと思っている。ナイーブな汎心論だと、温度計も温度を感じていると考えるべきなのかもしれない。そういう汎心論は信じていないけど、脳でなくても特定の情報処理が起きているシステムは主観的知覚を持ちうると考えている。そこで問題になるのは、どんな情報処理があれば意識がうまれるのかということだ。ただ、漠然と一般のシステムについて考えても生産的なアイデアをだすのが難しいから、では脳という実在する意識をもつシステムのなにが特殊なのかを研究するということになる。

Gerald EdelmanはTononiなどとこれまで、情報の複雑さ(complexity)を意識の指標とすることができるのではないかと、多数の論文を発表してきた。

Tononi, Sporns & Edelman (1994) PNAS

Tononi & Edelman (1998) Science 

Tononi, Sporns & Edelman (1999) PNAS

Sporns, Tononi & Edelman (2000) Neural Networks

Edelman & Gally (2001) PNAS

Edelman (2003) PNAS

ここまでのNeural Complexityの話は、野心的でおもしろいのだけど、やや抽象的で意識とのつながりは弱いように思っていた。

そのあと、Tononiが取り入れたEffective Informationという情報の概念を用いて、意識の情報理論を発展させた。

Tononi & Sporns (2003) BMC

Tononi (2004) BMC

(この理論の弱点を指摘して、Seth et al. (2006) PNASはCausal Densityというアイデアを提唱した。)

自分でも、情報理論的な研究ができないかと思って、あれこれ勉強していた。情報の伝播・因果関係を記述する学問分野としてBayes Netというものがある。たとえば、Judea Pearlの本なんかは、因果律について情報理論的に(確率分布として)Bayesian Networkで記述することについて書いている。

 

Causality: Models, Reasoning, and Inference Causality: Models, Reasoning, and Inference

著者:Judea Pearl
販売元:Cambridge University Press
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この分野は非常に発達しているけれど、主に研究されているBayesian Networkというのは定義上、循環的な因果関係はあつかっていない。つまり、A->Bであると同時に、B->Aという相補的な状況というのははずされている。別に、Bayes Netにこだわらなければ、HMMとしていろいろ研究する方法はありそうだが、まだそのあたりは独学中で、よくわからない。

前回紹介した、Hofstadterの本

I Am a Strange Loop I Am a Strange Loop

著者:Douglas Hofstadter
販売元:Basic Books
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では、ゲーデルなどを例に、再帰的な情報処理が特殊なおもしろい状況をつくるから、そのことが自己の形成や意識に関係あるとう論調だった。読者としては、どういうふうに関係あるのかを具体的に示してほしいところだったけれど、いまいちはっきりしたことを議論していないから、所詮エッセイにすぎない。ただ、再帰性を理解することであたらしい展望が開けるかもしれないということには共感できた。

Hofstadterの議論で面白かったとこは、情報の表象には、表象の対象と表象自体の二面性があって、表象の対象自体も、表象することができるということだ。この説明では意味がわからないだろうけど、Hofstadter自身がいっていることは、その本を見てもらうとして、自分の思考の糧となったところを説明したい。

脳の話に置き換えた、自分の解釈の例として、ニューロンのポピュレーションが線分の傾きを表している状況を考える。ニューロンがポピュレーションとしてコードしている内容が、「線分が45度の傾きをもっている」という意味を表しているとすると、その活動パターンには、活動パターンそのもの(情報の表象)と「線分が45度の傾きをもっている」という情報の指し示す内容(表象の対象)という二つの側面がある。意識を理解する上では、この情報の指し示す内容が、いかにして特定の意味となるのかが重要な問題だ。これが、意識の難しいところなんだけど、再帰的に、その表象の対象自体もまた、情報の表象コードの一部として扱うような状況を考えると、意味がどうやって生まれてくるかなどがわかるのではないか、という期待がある。ただ、ここで具体的に何をどうしたら良いのかはわからない。脳にあてはめて考えると、その先に、「線分が45度の傾きをもっている」という情報を明示的に表現した高次の表現自体がさらに高次な意味内容をコードしているとう階層的な構造は浮かび上がってくる。思考の方向性として気になっているから、考えているが、この先でやっぱり奇跡的なことがないと意識の説明にはすぐにはならなそうだ。

判然としないまま、情報のフィードバックというものを気にしていたら、なんと仏教での「空」という概念もまた、このことをテーマにしていたことがわかった。仏教のことなど詳しくもないが、最近たまたま読んだ小室直樹の本の解説で「空」の概念が少しわかった。

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか 日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

著者:小室 直樹
販売元:徳間書店
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よく意識の研究だと、「瞑想」だとか「仏教的世界観」みたいなのが、実は意識の解明に役に立つみたいなことをいう人がいるけど、いまいちピンとくることはなかった。むしろ、意識ファンクラブの怪しい人たちがたくさんいるなぐらいにしか思えない。

小室直樹の解説だと、仏教というのは因果律の学問だという側面があるようだ(他の人の解釈は知らないから、それがどのくらい仏教学者の通説なのかはわからない)。我々にとって(人間の脳にとって)理解しやすいのは、原因があって結果がある、事象Aがあったから、事象Bが起きたという、直線的な因果律だが、因果律には、「AならばB」かつ「BならばA」という循環する因果関係もあって、これが「空」の本質らしい。物事の原因を分解してみていく還元主義では、ものごとを細分化して、よりミクロなレベルの原因の集合が原因となって、マクロな現象を支えているという世界観だ。ただ、世の中には、相互依存的な意味の関係というのは溢れている。小室直樹の例では、「母」と「子」というのは、「母」は子をもつことで初めて「母」となり得て、「子」の存在も「母」の存在があって可能となるという話があった。「空」というのは、「無」のことではなくて、関係性を取っ払って分析的に物事をみていくことで、存在の根拠が不確かになってしまうことのようだ。

(この文脈で調べてて出て来た本で気になるのが、これ

Mutual Causality in Buddhism and General Systems Theory: The Dharma of Natural System (Buddhist Studies Series) Mutual Causality in Buddhism and General Systems Theory: The Dharma of Natural System (Buddhist Studies Series)

著者:Joanna R. Macy
販売元:State Univ of New York Pr
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いま、送られてくるのを待っているところ。なんかがっかりさせられそうだけど。)

何もないところに、関係性を成立させることで、一見根拠のないものに意味が生まれてくるプロセスというのはクオリアの成立過程と同じことだと思う。クオリアというのも、脳内の意味の相互関係のネットワークのなかで、そのネットワークのなかでだけ成立する獲得された意味のことだろう。つまり、月並みな言い方では、emergent propertyということだ。でも、いまだにこのプロセスについて、満足のいくアイデアや仮説さえも聞いたとことがない。

言語学でも、「言葉の意味」というのがどこから来るのかという議論がある。たとえば、ソシュール言語学というのがあるが、ソシュールは言葉には、シニフィアンとシニフィエという二つの側面があるといっている。それぞれ、表現する言葉自体と、表現される意味内容のことで、さっきのHofstadterの議論とも対応関係がつく。ソシュールのいったことで面白いのは、「シニフィエとシニフィアンの対応関係は恣意的だ」ということ(「犬」を表現するのに、英語と日本語だと単語が違っても良いから、音の響き自体が特定の内容を表すのには重要ではないという意味)と、もう一つは「意味というのは、差異の体系できまる」という、つまり意味の関係性によって決まるという話だ。これも、まさに「空」の話だ。(よくある例としては、「赤」の意味というのは、「赤」以外の言葉の意味によって決まる。「青」などの他の色なくして、「赤」は意味を持ち得ない。)

自分が脳科学で理解したいと思うのは、まさに「意味」や「クオリア」というのが関係性からどうやって生まれてくるのかということだ。おそらく、仏教も言語学も同じような難問をあつかっているが、この関係性から意味が生まれる現象の本質をとらえきれないのではないかとおもう。もし、脳科学者にしられていない斬新なアイデアがあれば脳をあいてに試してみたいと思う。

たぶん、この問題について考えている人は、たくさんいるんだろうと思う。ただ、考えるだけだと、時間はかかるし論文にもならないし、生産的ではない。因果律を情報理論的に理解するして、そのときに情報の表現と、表現の対象の関係を組み込むことことができたら良いと思う。もともと、そういうバックグラウンドではないから、自分で新しいアイデアをだして研究するレベルに達せるのかわからないけど、まずは実際の脳のデータの解析で、脳内の情報の因果関係のネットワークと意識状態の関係なんかは、実験屋としてはやりがいのあるテーマだろう。

それから、TononiやEdelmanのやっているような理論的研究をすすめることで、新しい世界観が作れるのではないかという期待もある。

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コメント

こんにちは。はじめまして。この観点はまさしくフランシスコ・ヴァレラが『身体化された脳』の中で、仏教のナーガルジュナの教説を引用しながら無根拠性からの生成と言っていたものですよね?

投稿: ykenko1 | 2007年10月24日 (水) 21時16分

済みません、『身体化された心』でした。

投稿: ykenko1 | 2007年10月25日 (木) 00時28分

ヴァレラのその本(the embodied mind)は、自分が意識に興味を持ち始めたときに読んで、それなりに感心しつつ読んでいたのだけど、当時はまだ自分の方に問題意識が芽生えてなくて、十分に理解していなかったと思う。今から読み返してみたら、あらたなアイデアのソースになるかもしれない。

ヴァレラといつか話してみたいと思っていたのに、結局あえずになくなってしまった。唯一目撃したのが、初めていったASSCのトークをしているところで、カトちゃんのようなしゃべり方が印象的だった。

投稿: 金井 | 2007年10月25日 (木) 00時35分

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