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2009年:旅程

今年もいろいろ学会などに行く予定が満載で、けっこう春から夏にかけての予定が埋まってきた。今年は日本にも二度行く予定だし、同業者の人とは学会などでもあうだろうから、たまたま同じ場所に同じときにいたら、声をかけてもらえるかもしれないと思って、予定を書いておきます。

  • 4月20日〜4月23日:オランダ、NijmegenにてDecision Makingのシンポジウム(21日、22日)。
  • 5月8日〜5月13日:フロリダ、Vision Science Society (VSS)。Signal detection theoryでp-consciousnessとa-consciousnessは実はperceptual blindnessとattentional blindnessがあるだけだということをトークで主張する予定。p-consciousnessとa-consciousnessという概念があるのは、percetupualなレベルでのサプレッションとattentional/cognitiveなレベルでのサプレッションという現象があるから、そう感じるだけだと思う。
  • 6月4日〜6月9日:ドイツ、ベルリンでASSCという意識の学会。ここでは時間のシンポジウムに哲学者の人からよばれてトークをすることになった。
  • 6月11日〜6月16日:香港。コラボレーションがあって行く予定だったが、同時にAsia Consciousness Festなるイベントがあってアジア版ツーソン学会のようなものらしい。アブストラクトを送る暇がなくて、結局なにも発表はないがとりあえずコラボレーションの合間にちょっとのぞきにいこうと思う。
  • 6月16日〜6月23日:日本。18日19日の「視知覚研究の融合を目指して」という岡崎の生理研での研究会に参加するのがメインの予定。こういうイベントに日本で呼んでもらうのも参加するのも初めてだから、どんな人に出会うのか楽しみだ。その後は日本だから、やっぱり楽しいだろう。
  • 6月24日〜6月25日:香港。帰り道でも少しよる。
  • 7月と8月は、夏休みなしで高校生の面倒をみることになった。これが意外な展開で、ロンドンにある名門女子校の生徒が夏休みに研究を体験するためのスカラーシップのような賞をとって、2ヶ月間一緒に研究してみることになった。とりあえず論文をいろいろ送ってみたら、ちゃんと理解しているようだし、当然イギリス人だから英語も読めるし、意外となんとかなりそうだ。Psychophysicsだったら高校生でも論文だしたりできそうだから、けっこう楽しみだ。でも、たいていペーパーがでるまでには2年ぐらいかかるから、そのころにはその子はきっと大学に入学してるだろう。
  • 9月:日本。まだ先のことだから正確な日程は不明だが、日本神経学会に初めて行く。これもまた行ったことがないから予想がつかない。

今のところは4月までにたっぷりデータをとったり実験したりして、春からしばらく旅行になりそうだ。いままであまり意識しなかったが、研究していると秋から春まで閉じこもって、それからあちこちいくという年間の活動パターンができている。

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行動の選択肢と意識

ときどき哲学者は意識について面白いことをいう。たいてい、自分が意識を研究する上で役に立つような概念の枠組みに翻訳するところが難しい。そんな中で気になる哲学者の一人に、アンリ・ベルクソンという人がいる。

今年の正月に日本にいたから、一冊ぐらい読んでみようと思って読んでみた。

これがその本。

物質と記憶 (ちくま学芸文庫) Book 物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

著者:アンリ ベルクソン
販売元:筑摩書房
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まず最初に思ったことは哲学者の話は非常にわかりにくい。いつも思うことだがアカデミックな書物の日本語の翻訳は非常に読みにくい。翻訳の問題かと思うところもあるが、おそらく元の本でもけっこうわかりにくく書いてあるのだろうと想像がつく。大陸ヨーロッパの哲学者の書いたものはそういう傾向が強い。少なくとも現代の英語圏の哲学者の書いた意識に関する本で読みにくいと思うことはあまりないから、ある程度文化の違いによるところもあるだろう。

本当は哲学もアイデアの中身で勝負するべきだと思うから、わかりやすく書くべきだと思うし、科学者の立場でいえば何か大きな問題の解決につながるようなアイデアというのは、それを聞いた人が「なるほど!」と思えるものでなければならない。だから、哲学者は問題解決をしたことはないのではないかと思う。

その反面、認知神経科学の研究者も哲学者のように、抽象的な認知機能について実験としてなりたつようなパラダイムを考えるときには、似たような思考のプロセスがあるだろう。おそらく100年前だったら「注意とはなにか?」とかそういうレベルで考えるところから始めなければ、注意について研究することはできなかっただろう。今では、注意について研究するときの実験パラダイムが研究者間で共有できるようなものになっているし、注意の種類なんかについてもコンセンサスがあるといえる。

哲学の話には、いつもその出口がない。それが不満に思える。しかし、たまには哲学者が考えたことについて考えてみることで、認知神経科学に新しく何かをもたらすことはあるのではないかと思う。だから、読みにくくても辛抱強く読んでみようかと思うこともある。

『物質と記憶』でわかりにくいのは、「イマージュ」という用語が当然のように最初から使われているが、それがどんなものを表しているのかさっぱりわからないことだ。最初は、「意識に上る物体の対象」という意味ではないかと疑りながら読んでいたが、それでは意味の通じない文章がでてくる。外の物理的世界に限定されたものではないということがそこでわかる。一般に心脳問題というと、物質からなる物理的世界から心の精神的存在(クオリア)を説明しようということの難しさをさしているが、ベルクソンはそもそも物質世界と精神世界を別のものであると考えて、そこから両者を統一しようという試みは失敗するといっている。「イマージュ」という微妙な概念を持ち出して、その問題を避けて別のやり方で心脳問題を回避できる枠組みを探るのが目的だったのではないかということは想像がつく。けれど、一読者としては心脳問題というわからないものが「イマージュ」というよくわからない概念で置き換えられたような気がしてしまって、あまり「イマージュ」に感銘を受けることはなかった。

もし、「イマージュ」とは何かというのを簡潔に誰にでもわかるように説明することができる人がいたら是非教えてもらいたい。

それから少し関係ない話だが、「クオリア」という言葉も実はかなりあやふやなものだと思う。哲学者のNed Blockに「クオリアって何だ?」と聞いてもあまりよくわからない返事しか返ってこなかった。さらに「P-Consciousnessとクオリアは同じか?」と聞いても、「クオリアは難しい」という感じの返事でいまいちぱっとしない。「赤の赤らしさ」みたいなものだというのがだいたい誰もがイメージすることではあるが、そこから話は進まない。このことについて、自分なりの考えがあるが、また時間のあるときにPsycheか何かに書きたいと思う。

何はともあれ哲学者の話には概念の曖昧さに関して不満があることが多いが、ベルクソンを読んでからずっと心に引っかかっている問題がある。ベルクソンの話で「行動の選択肢」の存在と意識の関係が議論されている。入力があって反射のように紋切り型の行動が起きるという場合には、意識は必要ない。むしろ一つの入力に対して複数の行動の選択肢から行動を選ぶことができ、また自分にとってその選択を能動的にしているように感じられるシステムというのは意識を持っているだろう。この部分は現代のニューロサイエンスでも同じようなことがいわれている。コッホのいうゾンビというのは、まさに反射のような行動しかできない存在で、そのような行動はそれ自体かなり複雑な計算過程を要するとしても、無意識の内にできてしまう。ラメ(Lamme)のいうCortical Reflexというのも基本的に同じものだ。さらにラマチャンドランのクオリア三原則の一つでも、クオリアの要件は知覚した後にその対象に対して自由に複数の行動の選択肢があるということをいっている。

水を飲もうと自然にコップに手をのばすような行動は意識を要しない。むしろ、少し意外性のある行動をしようとすると意識的なプランが必要になる。たとえば、同じ水の入ったコップに人差し指をつけてみるとかは、おそらく敢えてそうしようという意図と意識的な運動制御が必要になるだろう。

こういう話は自由意志の脳内メカニズムなどの研究とつながっているように思えるが、それは物理的制約の中にある脳が、システムとして自由意志という幻想をどうやって生み出しているのかという問題に集約しがちである。むしろ自分が気になっているのは、このような行動の選択肢があることと、意識的にものが見えることがどう関係しているのかということだ。行動の選択肢があるようなシステムはクオリアを感じるようになるのか。もしそうだとしたら、その過程はどう説明すべきなのか。

その反面、心理物理で使うような無意識に視覚情報を脳に送り込むようなテクニックで、刺激を脳に見せたら、確かにそれに対するフレキシブルな反応というのはできないというのは納得がいく。例えば、アンチサッカードというタスクがある。どういうタスクかというと、例えば右側に刺激が出た場合には、そっちに目を動かしたいのを抑えて、敢えて反対の左側に目を向け、左に刺激が出た場合は、右に目を向けるというタスク。おそらく、その刺激が見えないときでも、刺激が出た方に目を向けることはできるだろう。それはまさに自動的な反応でゾンビ的Cortical Reflexだからだ。しかし、あえて反対側をみるというのは、見えない刺激に対してはできないだろう。これは当たり前の話のように思えるが、気になってしまう。アンチサッカードができるかどうか調べることで、意識があるかどうか判断できるのではないか。

ここから、意識の研究法として新しいやりかたが作れればいいが、今のところは感覚処理という視点だけではなく、行動への変換の過程にもっと注目すべきだなとは思い知らされた。まだまだ考える余地がありそうだ。

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睡眠について最近読んだ本

前のエントリーにも書いたけど、この前の12月に睡眠のワークショップがあった。

そこで話した人の一人でJim Horneという人がいた。

その人に、自分が眠りにつくときに金縛りにあったりするという話をした。そしてら、それは遺伝性だということがわかっていて、ナルコレプシー(急に眠ってしまう症状)とも関係があるといわれた。さらに、その場合は自分がルシッドドリーム(明晰夢、夢の中で自分は夢を見ていると気づくこと)ができると思っているのは、おそらくルシッドドリームではなくて眠りにつくときに見える幻覚(hypnagogic hallucination)であるだろうといわれた。600人に一人ぐらいはこういう傾向があるらしい。

なんていうか、自分がなんとなく知っていても詳しくは知らないことが多い睡眠について、一方的にいろいろな事実を教えてくれた。

それで、その人に勧められて、この人が一般向けに書いたという睡眠の本を読んでみた。


Sleepfaring: A Journey Through The Science of Sleep Sleepfaring: A Journey Through The Science of Sleep

著者:Jim Horne
販売元:Oxford University Press
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いつも睡眠に関する本を読むたびに思うことだが、すごく基礎的な睡眠に関する事実について自分が知らなすぎることを痛感させられる。特にこの本は、トリビアみたいな「へ〜」っと思わされる事実がたくさん書かれていた。いまのラボのボスのWalshと今日話していたら、この本には二文ごとに気になる事実が書いてあるといっていた。たしかにそのくらいいろいろな事実が書いてある。読んだらすごく睡眠について物知りになった気分になる。

まあ、特に印象深かったのをすこし紹介します。

  • 連続で眠らずに起き続けた世界記録は現時点では264時間だ。ランディ・ガードナーという当時17歳の少年が出した記録で未だに破られていない。 自分がこれまでに連続して起きていた時間の最長が100時間ぐらいだから、その倍以上起きていたというのはとても想像ができない。
  • 鳥(カモ)は片目ずつ瞑って眠る。そして、閉じている目の反対側の脳は眠っていて、目が開いている方の反対側の脳は目を覚ましている。イルカでの話は有名だが、鳥もそう名だったとは知らなかった。
  • イルカにはレム睡眠がない。イルカは脳の半分が片方ずつ眠るが、レム睡眠で夢を見てしまうと、混乱するからではないかと筆者は書いていた。
  • 冬眠は睡眠とは違うらしい。特に驚いたのが、冬眠中の動物は睡眠不足になるらしい。だから、冬眠中に睡眠を取るために一時的に体温を上げることがある。こういう基本的事実もそれほど広く知られてはいないだろう。
  • 睡眠不足だと、話をするときに適切な言葉が出てこなくなる。話す内容も単純な受け答えしかできなくなってしまうから、人と会うときに眠いというのはかなり問題だ。

こんな感じのことがいたるところに書いてある。だからけっこう楽しく読める。

Jim Horneのトークのときにいっていた気になることで、「レム睡眠というのはスクリーンセイバーみたいなもので、寝ているというよりは覚醒した状態の特別な何もしていない状態だと考えるべきだ」という主張があった。自分としては夢とかレム睡眠というのはミステリアスで研究テーマとして面白そうだと考えていただけに、なんとなく興ざめな主張であったけれど、その真意が知りたくてこの本を読んだ。

結局どういうことかというと、レム睡眠はなくなっても困らないということだった。抗鬱剤を飲むと、レム睡眠が阻害されて何週間もレム睡眠がない状態が続くことがある。それでも、抗鬱剤をやめてレム睡眠が復活しても、レム睡眠の量が反動で増える訳でもないし、記憶や学習もレム睡眠なしでできる。一応レム睡眠は手続き的記憶をあげる効果があるという実験データもあるが、それも単に無意識のうちの覚醒時のメンタルトレーニングみたいなもので絶対に必要というものでもないだろうと反論している。

ただ、なんで睡眠中にレム睡眠に入るのかということについては、ぱっとした説明がない。脳がずっと寝ていると飽きて刺激が欲しくなるからだという主張だが、あまり説得力を感じなかった。それから、ほ乳類で胎児もレム睡眠がたっぷりあるらしいのだけど、胎児が動かないようにするためとか、いろいろな事実をあげているが、それほどすっきりした気はしない。それでも、レム睡眠の確たる機能が未だに理解されていないというのは事実のようだ。

それからもう一つ睡眠について一般的に書かれた本で面白かったもの。


Counting Sheep: The Science and Pleasures of Sleep and Dreams Book Counting Sheep: The Science and Pleasures of Sleep and Dreams

著者:Paul Martin
販売元:St Martins Pr
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Jim Horneの本と内容的に重なるところも多いが、より社会的なコンテクストで睡眠について書かれている。例えば、いかに現代人が睡眠不足で、それが事故とつながるかなどが議論されている。睡眠が足りないと、人は判断力を失い、性格も不安定になるから怒りっぽくなり、社会的能力も低下する。そんな状況で仕事をしてもあまり働く方にも雇用者にとってもいいことはない。むしろ、ミスが増え他人に危険が及ぶことさえある。チェルノブイリも睡眠不足による判断ミスが事故の原因になっている。

もっと身近な例では車の運転。飲酒運転は法律で禁止されているが、睡眠不足運転も同じぐらい危険であるにも関わらず法律で禁止にしようという風潮はない。アルコールと違って、簡単に睡眠不足度を計測することができないのと、実際に眠いときに仕事をさせないルールを作ることも難しいだろうから、簡単には睡眠不足運転を禁止することは現実的ではない。

また、中年太りというのも男の場合は睡眠不足と関係がありそうだ。というのは、寝ているときに分泌される成長ホルモンによって体内の脂肪が分解されている。実は睡眠中に成長ホルモンが分泌されるのは人間に特有の現象で、人間の食生活のパターンと関係があると考えられている。ネズミなんかは目を覚まして少し食べたりするし、草食動物は睡眠中も消化を続けている。肉食動物も、消化に24時間かかるから、睡眠中に栄養不足になることはない。その点、人間の場合は睡眠時間には消化が終わっているから、その間の栄養は脂肪を分解して確保している。ということは、毎日よく眠ることでダイエットになる可能性がある。もちろん、何日も眠らなければ体重が減るというデータもあるが、それはどちらかというと死に近づく不健康なダイエットだろう。

しかし、今後睡眠の重要さが一般に理解されるようになるにつれて議論も起きるべきだろう。最近の嫌煙運動のようなものも、おそらく30年前には想像もつかなかっただろうから、同じように今から30年後には、睡眠時間を削って仕事をさせることが倫理的に認められなくなるようなことがあるかもしれない。

特に睡眠についての基礎的な事実が一般的に理解されるようになれば、事故を減らしたり、楽しい気分で快適に仕事をして生産性を上げるようなことも計画的にできるようになるかもしれない。少なくとも、寝ないでがんばるという古典的な方法よりも、寝ることで良い結果がでる場合もあるだろう。受験生が勉強するときとかも、寝ないでがんばるよりも、記憶に残る時間帯に勉強してからたっぷり眠った方が、覚えられるかもしれない。さらに、そのうち書こうと思っているが、まえにかいたWalkerの別の実験で、睡眠には記憶の定着化だけではなくて、知識をオーガナイズしてより深い理解へと導く役割もあるということがわかっている。さらに社交能力も睡眠でアップするから、正しい寝方をした方が得することは多そうだ。

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