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情報過多 (Information overflow)

日本からロンドンに帰ってきました。

今回の日本での日本神経科学大会でのシンポジウムも良い経験になったし、岡崎での意識のワークショップも内容がとにかく濃かった。それについてもいろいろ書きたいことはあるが、日本にいる間にたくさんの人と出会って話をしている内に、前々から気になっていたことが自分の中で明確になった。それは2つある。

ひとつは、以前のエントリーでも何度も書いたが、脳科学が実世界に影響をもつためには何が必要かということ。神経科学大会で、ATRの神谷さんのオーガナイズしていた「現実世界に挑むニューロイメージング」というシンポジウムの題名もまさに「現実世界」を意識したものだし、そのなかでJohn-Dylan Haynesがニューロテクノロジー(neurotechnology)という言葉を持ち出していたのが印象的だった。それから、(例によって土谷に薦められて)帰りの飛行機の中で読んだ藤井直敬さんの本でも、インターネットとの比較で脳科学が現実世界にまだまだ実質的な影響を及ぼしていないということが書かれていた。

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おそらく脳科学者の間でも、現実世界への応用や影響力というものがメディアで取り上げられるほど実現していないという感覚が広がってきているのだろう。その一方でBMIなどで、現実世界への応用の可能性も見え隠れするようになり、本格的に役に立つ脳科学を提案していくことができると感じているのかもしれない。

これがひとつ目の気になっていることではあるが、今回はもうひとつの気になること、「情報過多の世界」について書こうと思う。

ここ5年間ぐらいの間、パソコンに向かって仕事をしているときなどに、同時にたくさんの情報を処理しなければ行けない状況が毎日続いている。論文を読んだり書いたり集中力を必要とする仕事をしている最中にも、友達がチャットで話しかけてきたり、同時に聞いているポッドキャストが気になったり、電話もかかってくるし、被験者から次のアポイントメントをどうするかとメールが来たりする。さらにオフィスの同僚も、まったく関係ない話をしてきて追い打ちをかけてくる。さらにmixiの横にでてくるどうでもいいニュースにも気をとられ、なんとか自分の仕事を完成させるために集中しようとすると、精神力を使い果たす。

同時に複数のメディアから情報をとりいれ、仕事上の対処をしていくようなマルチタスクの状況はますます加速していくばかりだ。仕事だけでも、大きな画面二つでたくさんウィンドウを開いて、いくつもの計算処理を同時に行ったりする。こういう状況を、現代人のほとんどが経験しているはずだ。情報へのアクセスが簡単になった結果、入ってくる情報の量が個人が意識的に処理できる量をあきらかに越えている。自分より少し若い世代になると、まさにマルチタスクの環境で育っているからか、それほどこの状況に困っていないようにも見える。

マルチタスクをしながら目標の課題を完成させていく能力というのは、今後ますます重要になっていくだろう。その中で、マルチタスクの環境に脳は適応できるのか、またはマルチタスクが巧いか下手かというのは、脳のどのような違いによるものかという疑問が浮かんでくる。

この文脈でおもしろい論文が最近PNASにでていた。

Ophir, Nass & Wagner (2009). Cognitive control in media multitaskers. PNAS

この論文では、日常的にマルチタスクをどのくらい行っているかを個人について問診票(アンケートのようなもの)で調べ、その中で日常的にマルチタスクの量が多い人と少ない人の間で、認知課題における能力の違いを調べている。ここでは課題と無関係な情報に気を取られずに課題の遂行に重要な情報だけにどれだけ集中できるかを調べるような実験をいくつも行っている。その結果、マルチタスクを日常的にたくさん行っている人は、無用の情報に注意を引かれやすいということがわかった。

これがこの論文の主な発見なのだが、残念ながらこれだけでは、因果関係がやはりわからない。無視すべき情報を無視できないひとがマルチタスクな生活を送りやすくなっているのか、あるいはマルチタスクを毎日行うことで、無関係な情報に注意が向いてしまうように脳が発達したのか区別することができない。当然両方の可能性があるだろうし、さらに実験をすればその区別をつけることは可能だ。

ただ、「集中力がない」というのはネガティブに取られがちだが、もしかしたら「集中力がない」というのは一つの側面にすぎず、「いろいろなモノに気を配ることができる」という能力なのかもしれない。おそらく時と場合に応じて両方の能力が必要だろう。ゴールが見えている仕事を完成させようというときは、「集中力」は明らかに必要になる。でも、日常的には、何かに没頭していて、周りが見えていなければ、向かってくる車にも気づかないというような危険もある。新しいアイデアを生み出すには、今すぐ利益(課題遂行)につながらない無関係な情報も取り入れて自分の無意識の中で熟成させておくことも必要だ。そもそも、今回「マルチタスク」について書こうと思ったのも、日本を旅しているときにいろいろ人との会話の断片と、自分の研究に直接関係がなくても興味があって読んでいた論文などが、頭の中で組み合わさって生まれてきたものだ。

その関連で、「気が散りやすい人」の脳がどう違うかなども見ているが、実際「気が散りやすい人」の脳はすごく発達している(灰白質が多い)。正式に論文になるまでは、詳しいことは書けないが、やはり「気が散る」というのは、脳に秘められた能力の一つなのではないかと思えてくる。

それから今回京都大学の経済学部を訪問したときに、「情報過多」と脳について考えさせられることがあった。ひとつは、原良憲先生という方と少しだけ話す機会があったのだが、「新しいアイデアというのは、どのような状況で生まれてくると思うか?」という質問を受けた。詳しいことはわからないが、原先生は「イノベーション」について研究しているということなので、おそらくその観点からの質問だったのだろう。

そのときに、アイデアというのはやはり常に潜在的に自分が多様な情報を浴びているということが必要なのではないかと思った。その対局に一つのことに集中して、ブレークスルーを起こすというスタイルもある。でも自分の実感としては、より日常的に発生しているレベルのアイデアは、少し離れた分野間で相性の良い組み合わせを見つけてくるようなことが多い。そういう意味で、もしかしたら「情報過多」の世界で少し気が散っているぐらいのほうがクリエイティブな素養が育つのではないか。まあ、その一方でおもしろい話をたくさん知ってはいるが、生産的なアウトプットに結びついていない人がいることも事実だ。それから、一見無関係な情報の間に関係性を見いだし価値を生み出すというのも別のセンスが必要そうだ。

だから、標準的なアイデアから達成までのプロセスには3段階あるだろう。

  1. いろいろなことに興味をもって、たくさんの情報を浴びる
  2. 個別の情報を自分のなかで整理して、意味のあるつながりを見つけ出す
  3. 最終的な形のあるものに還元するために、集中して実行する

この2つ目のステップは、睡眠とも関係が深いだろう。睡眠中に一日の間に得た情報の整理が起きるような話はよくあるし、以前紹介したMatt Walkerの論文などでは、個別の関係性の学習から、全体像を睡眠中に再構成するような学習が起きることがしめされている。それから主体的に問題意識をもって情報を取り入れることも重要だろう。

それから、これは推測だが、睡眠に限らず「休憩」にも情報を整理する役割があるのではないかと思う。個人的な観察だが、日常的に雑多な情報を浴びている人は、なんらかの「休憩」をもうけている。パズルゲームに没頭する人や、瞑想的なことをするひと、youtubeでお笑いやアニメをみるひと、たぶんこういった無駄にみえる活動もクリエイティブな活動をする上で、脳が自然に渇望してしまう行動なのかもしれない。こういった「休憩」が実際に認知機能や学習に実際に効果があるかはわからないし、単に現実逃避のストレス解消にすぎないのかもしれないが、興味深い現象だ。

研究者に限らず、新しいアイデアと情報を生み出す重要性は先進国では、どの産業でも同じだろう。集中タイプの人と、発散タイプの人がある程度個人の脳の特性としてありそうだということを考えると、その両者を組み合わせてグループを作ることで、組織としての生産性をあげることはできるのではないだろうか。


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