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社会脳がおもしろい

ここんとこ社会脳科学がおもしろい。

特に最近気になっていたのが「ダンバー数(Dunber Number)」という概念。ウィキベディアに書いてあるように「それぞれと安定した関係を維持できる個体数の認知的上限」が150ぐらい(正確には153ということになっている)という数字を、ロビン・ダンバー (Robin Dunbar)という人が提案した。

Facebookで繋がっている友達の人数の平均もだいたい同じくらいの数字になっている。現時点での平均は130人ぐらいだ。
http://www.facebook.com/press/info.php?statistics

ただ実際には、登録だけして使っていない人もたくさんいるし、一部の人が800人とかの現実的ではない数の人とリンクしているから一概にはこの平均がダンバー数に近いことに意味はないかもしれない。

それでも友達の数というのは脳の進化にとってすごく面白い要素だ。というのは霊長類の社会の大きさが大きいほど、大脳皮質の発達の度合いが大きいという相関関係が知られている。ヒトのように個体同士が個人を認識して、行動を決定するためには高次な認知能力が要求され、その結果人間の大脳は特別発達したのではないかと考えられている。

そして、ダンバーによると実際にお互いを認識して人間関係を築けるのは150人ぐらいが人間の認知能力の限界で、それ以上の数のひととたとえネットの上で繋がっていたとしても、実際に交流があるのは150人ぐらいだといっている。科学や技術が新しい交流の方法を作り出しても、人間の脳がこれまでの150人ベースの社会に適応して進化してきたから、それ以上の人数を相手に具体的なイメージを持つことは難しいという考えだ。

確かに、交流人数が増えてくるとなんらかのストレスを感じるのは実感できる。自分の仕事でも、友達との交流でも、人数も量も圧倒的に増えているの。これは自分の年齢と仕事の関係もあるかもしれないが、おそらくソーシャルネットワークがネット上で広がることで量が簡単に増えるようになったからだと思う。今では情報の発信も簡単だし、必然的に友達が全体として発信する情報の量が圧倒的になっている。最近あまりにそれが極端で、自分の記憶容量がが足りなくなっているかもしれないとさえ思い始めた(これも、老化かもしれないが)。

もしかしたら、FacebookやmixiのようなSNSを利用することで交流の効率が上がれば、ダンバー数以上にたくさんの人と繋がりを持つことも可能かもしれない。これは、まだ議論の余地がありそうだし、今後の展開を見なければわからない。社会的交流の量の増加に呼応して、発信の内容はtwitterのようにどんどん簡素化される傾向にある。

人間にとって一番の関心ごとは自分の家族とか友達とか直接知っている人の動向だということは間違えないようだ。実際、友達とあっても、仕事での交流をしても、結局その人と共通の知り合いなんかの話をしていることが多い。誰にとっても身の回りの人間関係が一番気になってしまうように脳はできているのかもしれない。

つい最近、Facebookへのアクセスの数がついにグーグルを抜いた。自分が一日中グーグルで検索を繰り返していることと比べると、facebookの勢いが如何にすごいかがわかる。

http://www.independent.co.uk/news/business/news/facebook-overtakes-google-1923102.html

自分の知っている人の写真やコメントが個人にとって、それだけおもしろいということを表している。

こんな中、最近Robin Dunbarのエッセイ集のような本がでて読んでいた。

How Many Friends Does One Person Need?: Dunbar's Number and Other Evolutionary Quirks Book How Many Friends Does One Person Need?: Dunbar's Number and Other Evolutionary Quirks

著者:Robin Dunbar
販売元:Faber and Faber
Amazon.co.jpで詳細を確認する

最初はなにかダンバー数について面白いことが書いてあるかな、と読み始めたもののそれは最初の数章だけで、もっと社会脳一般について面白いことがたくさん書いてあった。

もしかしたら自分が知らなかっただけで、有名な話なのかもしれないが、いくつかインパクトの強かったものについて書いておこう。

一般的な内容のエッセイが多かったなかで、知性を司る大脳皮質は母親から遺伝し、感情を司る辺縁系は父親から遺伝するという話が気になった。ただこの本が一般向けということもあって、関連論文の詳細が出てなくてどの論文を根拠なのかはわからなかった。ダンバーの議論では、女性の方が社会性があるから、大脳に関係があるという書き方だったが、これがいまいちピンとこなかった。

その話を聞いてから気になるのは、脳の場所によって父親に似やすいのか母親に似やすいのか人間の脳のMRI画像を元に計算する実験をしたらおもしろいだろうと思った。それはVBM解析をすれば出てくるかもしれない。ただ家族3人か4人全員のMRIをとって、それを100家族は見る必要があるだろうから簡単にできる実験ではない。もし、それがやれる環境を知っている人がいたら教えてください。

他に気になったことは、スコットランド人の名前の付け方のルールとか、世界の人口の0.5%は遺伝子的にはチンギスハーンの子孫だとか、雑学っぽい感じの内容が多い。

それからビジネスにおいても、工場の従業員の数を大きくしすぎずに、150人程度で抑えておくのが良いらしい。その例として、GoreTexという会社の話がでてくる。そのような組織をデザインするときにもダンバー数というのは無視できないファクターのようだ。

そして極めつけは、バソプレッシンというホルモンの話。オスの脳内のバソプレッシンの量が、動物の一夫一妻制に重要らしいということが知られていたが、スウェーデンのHasse Walumたちの研究で、バソプレッシン受容体の遺伝子のアレルの種類から、男性がどれくらい一夫一妻的なのかがわかるらしい(WalumのPNASの論文 )。これには驚いた。簡単に言うと、遺伝子を唾液とかから取れば、男が浮気性になるかどうかわかるらしいのだ。スウェーデンの場合は、4%の人はこの遺伝子を二つ持っていてて、36%の人がこの遺伝子を一つもっている。そして、この遺伝子を持っている人では、結婚生活が上手くいかないことが多い。

遺伝子の型でこんなことまでわかってしまうというのは恐ろしいし、倫理的な問題も引き起こすだろう。婚活している人とかにとって、男がこの遺伝子をもっているのかどうかは、ぜひとも知りたいことなのではないだろうか。

ここのところ、ブログの内容が「意識」の話から「社会脳」の話になりがちになってきている。両者の関係については、6月にでる本に詳しく書いたので、それがでてからブログでもさらに説明しようと思う。

それから、『孤独の科学---人はなぜ寂しくなるのか』 についても書きたかったが、長くなったので、これはまた次回に続く。

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空気を読むイギリス人

ようやく本はほぼ完成した。その本を一気に書いていたから、自分のブログに書くような興味と重なるところも多くて、なかなかこのブログを書く余力がなかった。

ちょっと脳科学から外れるかもしれないが、もしかしたら脳科学として研究可能かもしれない気になることを今回は書こうと思う。

「空気を読む」とはどういうことなのか。「空気を読む」という言葉を昔よりよく聞くようになった。人間同士のコミュニケーションの性質が変わってきたことを反映しているのではないかと思う。もともと日本では「空気を読む」ことを要求され、本当のことをずばりと言いにくい雰囲気が居心地悪いなと思うところもあった。そういえば、ときどき怒られていたような気もする。「空気を読む」というのは、なんていうか物事をはっきりさせて論理的に話合うのに向いていないし、曖昧で好きになれなかった。しかも、状況によっては「空気を読む」の権威をかざして、個性的な人が抑圧されているように感じることもあった。

アメリカに住んでいた時は、あまり「空気を読む」という習慣に出会うことはなかった(まったくない訳ではないが、相対的に少ない)。むしろそういうのがないところが居心地がいいときもあった。その感覚で、日本から外国に行く人の気持ちもわからなくもない。今では、それはかなり消極的な理由だとも思う。まあ、他人のことはどうでもいい。オランダに住んでいた時は、さらになかった。文化的にアメリカよりももっと直線的だったから、「空気を読む」どころか言いたいことを言い合って、気まずくなってもそれほど嫌な感じは残さない。別に個人をけなしたりしているわけではないから、それはそれで大人のやり方みたいなところもあった。

そしてイギリスに来て、空気を読む習慣に再会した。いま半分所属しているラボのミーティングは、イギリスのトークショー的な雰囲気で、ボスが司会者でみんながおもしろいことを言うような雰囲気で、ゲストの(ラボの)メンバー達はおもしろいことをうまいタイミングでいう競争みたいになっている。そこでしゃべりすぎても番組としてなりたたないみたいな雰囲気がある。もちろん仕事とからんだ話もするけれど、それぞれのアンテナの広がりを試されているような感じだ。自分で見つけてきたおもしろいニュースとYoutubeの映像とかを、自分の知識と組み合わせてオチをつけて話す訓練みたいな感じだ。おそらくそういう能力はかなり現代では重要だし、寡黙な自分にはトレーニングになっているような感じがする。

このときにイギリス人は、相手を尊重しつつも全体としてうまくその状況をまとめるみたいなことにすごく敏感だなと感じた。ちょっとつまらなそうにしている人がいると、司会者(ボス)がうまく話をふったりもする。微妙な状況になりそうな話がでても、正確にフォローがあって笑える話にする。たぶん、イギリスに来た人はこういうこと感じることが多いのだろうけど、これって空気を読んでるってことだよなと思う。

それから同じボスと三者面談みたいに、自分ともう一人の研究者と3人でミーティングするパターンが多い。たいてい他のポスドクとか学生とかが自分と仕事をするようになったときに、ボスのところにつれていって、研究の方向性や目標を決める。今の自分の立場は、なにかの研究をしたいというポスドクや大学院生と前もってどういうことをやったらおもしろいかとか、テクニックとして可能かどうかなどを先に話し合って煮詰めたものを、ボスとのミーティング用をアレンジするような状況が多い。まさに科学者の中間管理職みたいなことをやっている。そういうミーティングをすると、基本的に今のラボにいるひとはみんなやる気があるから、かなり無茶なことまでがんばってやろうとする。それにいろいろ今後のグラントや時間などの制限があるから多少削ったり、特定の大事な問題に集中して最大限のアウトプットをだそうという意向がボスからなんとなく伝わってくる。そこには実践的な計算と計画が入っているのだが、けっこう微妙な駆け引きで、知識と論理に基づいた議論もあるのだが、なんていうか常識的な判断をしようというバランス感が重視される。こういうときにイギリス人はなんていうか、言葉にしていない部分でコミュニケーションを交わしているのをすごく感じる。そんな中で、がらにもなく自分も空気を読んだりする。そうすると、「おまえ今の空気の読み方いいな」と相手が反応するのも感じられる。これはこれで精神的に疲れるところもあるし、いつもこれがいいとは思えないけど、イギリスには空気を読む文化があるのは間違えない。なんていうか「火星には水があった」みたいな話だけど、この社会性のスキルって実は複数の人間が大きな目標を達成するために重要かもしれない。

よく社会脳科学の話だと、「心の理論」というのがでてきて、他人の意図や気持ちを理解する能力が注目されるが、「空気を読む」というのは他人の「心を読む」よりもさらに上の機能なんじゃないかと思う。「心の理論」というのは、個人と個人のコミュニケーションを想定しているから、「その場」という意味での「空気」は入っていない。「空気を読む」というのは曖昧で面倒なことだけど、「心の理論」の延長に「空気の理論」もあるのかもしれない。きっと何らかの複数の能力の総合力として空気を読む能力というのもあるだろう。あるいは、常識的判断というのをどれだけ重んじる傾向にあるかということを表しているのかもしれない。

そう考えると、日本は社会的なスキルみたいな認知能力が異常に発達しているのかもしれない。それは、すばらしいことだし、アメリカからイギリスに来た日本人科学者が、あらためて日本の面白さに気づくというよくあるパターンだなとも思う。少なくとも、人間として根本には同じような気の使い方はあるから、英語圏の人に伝わるようなあまり文化によらない実験を考えることができれば、空気を読む能力も日本ローカルな話ではなく世界に発信できるのではないか。

(ちょっと追記)

これ書いてから、フラットメートに見せてもらったThe Officeというイギリスのコメディ(?)みたいなのを見てかなりおどろいた。

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販売元:National Broadcasting Company (NBC)
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これも「空気を読む」にかなり関係してる。要は、空気を読めないダメなボスのいるオフィスの話だけど、常にずっと気まずい。見ていてそのボスに腹が立っているぐらい気まずいし、まったくおおっぴらにコメディって感じじゃないから、笑うというよりは苦笑いみたいな、なんていうか自分が職場で出会いたくない場面が延々と続く。ほとんど、社会的ホラーとでもいえるレベルだ。怖い映画をみていて、なんでこんなに苦しいのに見ているんだろうって思うような感じで、ずっと苦しいままなんとも言えない面白さに引きずられて見てしまう。これがイギリス人には面白いらしい。こういうのを好んで見るイギリス人がいる裏には、やっぱり「空気を読む」文化がイギリスでかなり成熟してるからではないかと思った。

 

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