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「分類することの難しさ」と「リンク・コミュニティー」

数日前まで台湾のAPCVという視覚の学会に行っていた。

例によって飛行機で気になる本を読んでいた(最近、学会の内容をブログで書かなくなってきた)。

今回読んだ本はDavid Weinbergerの Everything Is Miscellaneousという本。

Everything Is Miscellaneous: The Power of the New Digital Disorder Book Everything Is Miscellaneous: The Power of the New Digital Disorder

著者:David Weinberger
販売元:Times Books
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ネットでソーシャルタギング的なものなどが、どのようにこれまでの情報の分類のしかたと異なるものかを長々と力説している。ネットの社会や人間の行動への影響に興味を持っている人にはもはや古ぼけてみえるかもしれない。

最初に本の分類の歴史の話がでてくる。最初に図書館でジャンルごとに本を分類した話で、いかに通常の階層的なまとめ方がうまくいかないか、そして物理的な制約からそうならざるをえなかったかなどが書かれている。どういうことかというと、例えば、歴史というジャンルと哲学というジャンルがあったら、哲学の歴史の本はどっちにいれるべきかみたいな問題。

それが情報社会においてはメタデータを管理することで、哲学で調べても、歴史で調べても同じ本にたどり着くような仕組みを作ることができる。(簡単に言うと、本を並べる代わりに、哲学の本リストと、歴史の本リストをつくって別においておけばよいということ)。

このメタデータを作るということが、二段階目の分類のやりかたで、さらに三段階目でパソコンやネットを使うことでもっと柔軟性が上がったという話。

この話自体は今では当たり前の話になっているだろうから、別段新しくない。しかも、なんだかんだで話が全然すすまないから速読の練習にちょうどいいような本だった。でも、初めてこういう話をに触れる人には、それなりに面白いかもしれない。

でも、この本を読んでいて二つの面白いことに気づいた。一つ目はダーウィンの話。生物で「種とは何か」を厳密に定義するのは難しい。いまのところ、子孫を残せるかどうかが二つの動物が同種かどうかを区別する定義だと一般的には考えられている。でも、ウィキペディアで見ただけでも、定義の仕方はいろいろある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE_%28%E5%88%86%E9%A1%9E%E5%AD%A6%29

種の定義についてダーウィンは面白いことを言っている。いろいろな種の定義があるが、ダーウィンは「種」という概念を厳密に定義するのは難しいということだ。むしろ、厳密に種を定義しようとすること自体が不毛であると主張しているようにもとれる。

クリストフ・コッホが 『意識の探求』 で、今の時点では意識を厳密に定義する必要はないと書いているが、未だに意識の研究をするというと、「意識は厳密に定義できないから、まともな研究ができないでしょう」と言う人に出会う。少しはそういうことを主張する人の理屈もわからないことはないが、またそこから話を始めるのは最近は面倒になってきた。過去の経験から、そういうことを言う人は本気で意識を研究しようという気持ちがそもそもないことが多くて、まじめに議論しても建設的な話にならないことが多いからだ。(ただし、新しい定義を提案して、見方を建設的な方向に変換しようとう行為には好感がもてる。)

そんな中で、ダーウィンが敢えて「種」を厳密に定義することにこだわらなかったという歴史的事実は注目に値する。

それからもう一つ、ちょうど面白いタイミングで現れたのが Ahn, Bagrow & LehmannのNatureの論文。

この論文では、これまでネットワークの中でノードをグループに分類しようとすると、一つのノードが複数のグループに所属しているせいで、うまく分類できなかったが、それ克服するネットワークの解析方法を報告している。

実際にどうやるのかというと、ノードを分類するのではなくて、ノード間をつなぐリンクの集合を分類することで、「コミュニティー」という単位に分けるというやり方だ。

これはもしかしたら画期的なことではないか。なんというか、David Weinbergerの本で書いてあった、分類の難しさの歴史と照らし合わせてみると、その難しさをかなり概念的なレベルで解消する方法を提案しているようだ。さっきの本の分類の例では、本自体を分けるのではなくて、一つの本がどのようなキーワードと関わっているかの相対的なグラフから分類する。

さっそく自分でも脳のネットワークなどに同じ解析をかけたらどんな結果がでるかなどを試してみたが、まあそれなりに意味ありげなコミュニティがを見ることができる(これはきっといろいろな人がすぐに試しだだろう)。ちなみに、PrecuneouやACCのようなハブになっているところがトップレベルで出てくるのは期待通りだった。

これは極単純に応用しただけだけど、同じ発想で多次元の複数のチャネル間のリンクをみるような、脳の多次元データを扱う解析で役に立つことがあるのではないかと思う。

それから、このような解析方法はソーシャルネットワークの研究で、Dunbarなどのアプローチの根本的な問題の解消にもつながるのではないか。Dunbarのもたらした概念は、主に同心円的な社会構成に基づいている。つまり、自分の身の回りに特別親しい人のネットワークがあり、その基準を下げていくことで、同心円的により大きなネットワークが見えてくるということだ。ただ、いつも納得がいかなかったことは、軍隊や店の構成員のユニットなどが100〜150人というDunbarの制限があるという例はたくさんあるが、軍隊なんかだと、その中の人たちの他に、学生時代の友達とか、親戚とか、個人が複数のコミュニティーに属しているから、合計はDunbarの数を超えるだろうと前から思っていた。それでDunbar数はこじつけのように感じていた。おそらく、個人がいくつのことなるコミュニティに属しているか、それぞれのコミュニティーの大きさはどれくらいか、コミュニティーへのリンクの数はいくつかなどで、もっと意味のあるネットワーク解析が可能になるだろう。

そんなんで、この一見古ぼけた分類の話の本は、自分の最近の興味とうまく繋がって面白く読めた。



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