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個人差の論文:1号

この前の、『個性のわかる脳科学』で一番メインのテーマとして書いたことだけど、自分の今の興味は、脳の構造をみるだけで、どこまで個人の性格や能力が予測できるかということだ。

その本を書いたときには当然、どっぷりその世界に浸かって研究をしていたわけだけど、自分の研究内容が未発表であったために含めることができなかった。それが非常に歯がゆかったのだけど、脳の構造シリーズの論文の一つ目が今日オンラインで出た。

Kanai, R., Bahrami, B. & Rees, G (2010) Human parietal cortex predicts individual differences in perceptual rivalry. Current Biology.

何と言っても、こういう個人差を扱う場合には、たくさんMRIスキャンをしないとならない。この論文では50人程度だが、3号、4号あたりになる論文では200人ぐらいになっている。そうとう週末ずっとスキャンしっぱなしの日々が思い出される。

それから、この論文がただの脳構造解析で終わってないと思うのは、構造から知覚の個人差と関係あると予想された場所に、脳刺激を加えたことだ。構造の解析だと、単に相関でしか見えないが、本当にその知覚と関係あるのかどうかをTMSで確認できれば、かなり確信がもてる。これは、これまでの構造解析の弱さを補完する重要な要素だろう。これをやったことで、この研究は自分でも気に入っている(だから、その分他の雑誌に落とされた時は、がっかりした)。

今回の論文はこのイリュージョンと関係がある。

Spinning

こういう映像をみていると、時計回りに回ったり、反対周りになったりする。この知覚の変化は脳の中でおきているのだけど、未だにこの切り替わる仕組みはよくわからない。不思議なことに、この知覚の変化が起きやすい人とそうでない人がいて、「躁鬱病」や「IQ」なんかと関係があると言われていた。だから、このような知覚の主観的な入れ替わりの個人差は、脳の中の注意の切り替えのような部位の発達度合いの違いを表しているのではないかというアイデアを試した。

それで、今回の研究で、こういう刺激をみて知覚の変化が良く起きる人は、頭頂葉の一部が大きいということがわかった。

今までこういう心理実験をしてても、個人差はあまり気にしていなかったけど、ちょっとした実験で脳の特定の部位の大きさがわかるというのはすごく興奮する。

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なぜ人は忙しくなったのか

どうもここ数年、途方もなく忙しい。人間のことならどんなことでも、認知科学的な視点で研究できると考えているから、「忙しさ」というのもなんらかの考察を加えることはできるのではないかと思っていた。

まず、どういう視点で考えるかということから既に問題だけれど、少なくとも二つの要素がある。一つは、「主観的忙しさ」とcognitive loadという観点で、複数の課題を並列に与えられると、課題をひとつずつこなしているときよりも忙しいと感じてしまうようだ。このいかにも普通な認知神経科学的な見方では、タスクスイッチングや複数の長期的な課題を脳内に保持しておくという、「忙しさ」を感じるメカニズム的なことの研究に進みそうだ。これは、それほど面白くないありきたりな研究だろう。それから、なぜネットによって人が忙しくなったのか(これが実際にそうであるという前提のもとに)という疑問に対する答えは、ここからは出てこない。

もう一つの見方は、ソーシャルネットワーク的な見方で、これがけっこう面白い。

前に紹介したRobin Dunbarという人のアイデアで、人間の持てる友達(プラス知人)の数は、人間の脳のキャパシティーからして150人程度だろうと言われている。この話自体は有名な話だが、実はこれには続きがある(Dunbar 1993参照)。霊長類の種ごとのソーシャルネットワークのサイズは、その種の個体がグルーミング(毛繕い)に費やす時間に比例するという話だ。そして、Dunbarの主張では、人間の持つソーシャルネットワークのサイズを維持するためには、人間は起きて活動している間は常にグルーミングをしていなければならないだろうといっている。しかし、そうならないのは、人間は言語獲得によって、「1対1」のグルーミングよりも効率的に、言葉によって「1対多」のグルーミングをしているとDunbarは説明している。さらに、Dunbarは、人間のネットワークの大きさを保つために、人は一度に2.76人を相手に会話をしているだろうと予測している。また、大学の食堂などからデータを集め、だいたいこの予想が正しいということも確認している。これが、150人の人と、お互いを知り合いとして認識し合うだけの、人間関係を保つのに必要な、コミュニケーションの量だという見積もりだ。

それから、2、3人と同時に話すのが、人間が進化の過程で身に付けた自然な行為だというのは日常的に実感できる。実際にレストランなどに大人数でいっても、結局は小さなグループ(3〜4人)に分かれて、それぞれ別の話をしている。ラボミーティングでも、学会中でも、人の輪ができているのを観察すると、たいてい小さなグループに分かれていく。それから、物理的に声の大きさと、人間同士の距離の関係からも、2、3人相手に話すのが、お互いに無理をせずに話ができる限界だろう。ちなみに、大きなグループの中で3人以上の人を相手に話をするのが上手い人というのもいる。こういう人は何らかの才能があるのだろう。こういう人の脳はどこが違うのかも調べたい。

ものすごくたくさんの人と、弱いつながりを保つのは、一日中たくさんの人と話し続けなければいけなくなるだろうが、Facebookなどのソーシャルメディアでは、かなりの人が現実的とは思えないほどたくさんの「友達」を維持している。特に、英語圏では若い人程、Facebook friendの数は多く、500人を超えていても、それほど多いとは言えない。しかも、Facebookで友達に加えられている人の、95%以上は実世界でなんらかの関わりを持った人だというデータもある。だから、まったくの知らない人を「友達」として維持しているのではなくて、昔だったら、一度だけ出会って忘れてしまうようなひとを、ショーケース的に集めているのが実際の状況のようだ。

Dunbar数の話がネット上のソーシャルメディアとうまくあわないことから、なんでFacebookではこんなにたくさんの関係を保つことが可能なのかと気になっていた。そして、「1対多」のコミュニケーションの「多」の方が2〜3人ではなくて、100人とか500人とか、数万人ということが可能になっているからではないかということに気づいた。一人が自分の状況をTwitterなどでたくさんの人に向けて発信することで、その人はたくさんの人と関係を保つことができる。

その代償として、誰もが忙しくなる。発信する労力は、それほど2〜3人を相手に話をするのと違いはない。そのかわり、今まで聞き手としての自分が、2〜3人からしか同時に聞いていなかったのが、一気に数百人になる。これは聖徳太子でも無理だろう。聖徳太子のような人はよりたくさんの人と友達になって、Facebookでも友達が数千人いてもおかしくないが、それでも、ものすごく「忙しい気分」になるのではないだろうか。(ちなみに、神様がfacebookに登録しているか探したけれど、でてこなかった。ちなみに、fanにはなれる。)

根本的に、ネットがあることで無限にアクセスできる情報があるということよりも、ソーシャルに入ってくる情報が、過去の数十倍、数百倍になったということが、忙しくなる元凶ではないか。ソーシャルメディアに限らず、単にメールでも送られてくる量が異常に増えた。単に情報が増えただけでは、忙しくはならない。図書館にたくさん本があるからといって、それがすべて読み切れないと忙しがっている人はいないだろう。むしろ、他人との関係の中で入ってきた情報には忙しくさせられるようだ。単純な質問でも、すべて答えられない量になりつつあるし、調べてから答えるから時間もかかる。面白いと教えられた論文や本や雑誌の記事も無限にあるが、これも自分が知的に信頼する人から来た場合には、とりあえず読んでみようということになる。そして、学生や他の研究者を紹介されることもある。自分の知っている人を経由して入ってきたものには、時間が取られることが多い。

この「1対多」が2〜3人ですまなくなったというのが、どうも本質的に人間のキャパシティーを超えてしまう原因のように思える。その反面、自分の興味のあることを教えてくれるひとがたくさんいるのはありがたい。

 

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