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Neuro2010終了。

神戸でのNeuro2010が終わった。

今回、「個人差の認知神経科学」と銘打ってシンポジウムを開くのに、なかなか緊張していて、無事終了してほっとした。

シンポジウムに来てくださった皆さん、どうもありがとう。

シンポジウムの最後にディスカッションを設けたが、これがどうなるのか一番不安だった。自分たちのシンポジウムは最終日だったけれど、それまでのシンポジウムとか講演では、質問する人がすごく少なくて、自分たちのときも同じかと想像して心配していた。なんといっても、質問とか議論の火種をつくるひとがいないとディスカッションは面白くならない。英語でやっているというのもあるかもしれないが、日本では質問するときに、自分が他人から見たら恥ずかしいことを質問しているのではないかということを心配しまうようだ。でも、科学の議論ではあまりそういうのは気にしなくていいと思う。

心配をしていたものの、自分たちのシンポジウムではわりと質問をしてくれる人がいて良かった。質問が、あまりなかったら、自作自演の質問か、オーディエンスの中にいるひとを指名しようかと思っていた(実際、自分のトークの後、山岸さんを指名した)。

まあ、それでも土谷が良く質問してくれた。その中で、個人差研究一般とって、特に重要な問題提起あったが、その場で的確な答えを出すことはできなかった。シンポジウムの帰り道、いろいろ話したから、最初の質問自体は記憶の中で曖昧になってきたけど、要はこういうことだ。

「個人差の研究は、自分を理解したいという、脳科学を始める動機に対する直接的なアプローチにはなっているけれど、脳の仕組みの一般的なメカニズムを知るという目的で、ニューロサイエンスをやっている人の興味を引くほどのものにならないのではないか。」

電気生理学的な手法などで、機能がどのように実現されていて、脳が実際にどのような計算原理に基づいて成り立っているのかを追求するという立場では、あまり脳の構造の個人差を見ても意味がなさそうだというのは分かる。

でも、シンポジウムの目的の一つは、「個人差研究は、特殊な例を理解することではなくて、脳の一般的な理解へのアプローチである」ということを説明することだった。たぶん、これは自分で個人差研究をすることで感じるようになったことだが、他人に納得のいくように説明するのは難しい。

それで、説得力が一番あったアナロジーが「ハエの行動遺伝学」だ。ミュータントを引き起こしたハエを、行動をもとにスクリーニングをすることで、個性のあるハエと遺伝子の関係がわかる。つまり、特定の遺伝子と、なんらかの行動の異常が結びつく例がたくさんある。さらに発見された特定の遺伝子とハエの行動の関係を理解するには、遺伝子を見つけたあとで、行動中の神経活動を測ったり、生理学的な研究が必要だろう。それでも、ハエの遺伝子がなんらかの行動と関与していることがわかることの研究的強さは実証済みだ。

自分がやろうとしている脳構造と個人差をつなぐ研究は、遺伝子と経験(Nature & Nurture)の複合体としての脳構造と人間の行動を繋ぐのが目的だ。人間は遺伝子の数も多いし、MRIで見れる画像は荒いが、遺伝子自体よりも、より直接的に行動との相関関係を見つけられる可能性もある。それは、脳の構造が遺伝子だけでなく、その後の経験によって変化するからだ。まあ、とうぜんヒトの遺伝子をとるのも技術的には簡単なことだから、今後はMRI画像と組み合わせてデータを取っていく。

そんなことを考えながら電車で読んでいた小説に、似たような話がでてきて驚いた。

プラチナデータ プラチナデータ

著者:東野 圭吾
販売元:幻冬舎
発売日:2010/07/01
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このミステリー小説では、殺人現場などから犯人のDNAを検出すると、それだけで犯人の身長や性別だけでなく、顔や性格までを、高い精度で予測するシステムというのが開発される。現在、遺伝子だけで人間の特徴がどこまで予測できるのかは定かではないが、自分のやろうとしていることは、これのMRIバージョンなんだなと思った。MRIだったら、殺人現場でDNAのようにとれるものではないが、生物的特徴から、人間を予想するというところは完全に同じだ。

そして、この小説の最後に、そのDNAのシステムの開発者に対して、人間は遺伝子だけで決まるのではなく、化学的・電気的な信号で成り立っているという話をする人が現れる。この小説の本筋とは関係ないことだけど、この「構造」対「生理」という構図は先の話と同じだなと思う。

自分がやっている構造MRIだけで、どこまで一人の人間がわかるかというのは、精度に関しては未だにわからない。DNAのようにその辺に落ちてはいないから、犯罪の捜査にも役に立たなそうだけど、応用脳科学としてのポテンシャルが大きいところも面白い。

ちなみに、このプラチナデータ にでてくる、「電トリ」という装置は脳に電流を流して快楽をもたらすという、tDCSを彷彿させる代物で気になった。tDCSをすぐにそういう使い方することはできなそうだけど、一般の人にあまり悪いイメージもたれても困るよな。


 

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社会性と意識の研究がつながった!!

先週、とてつもなくおもしろい論文がサイエンス誌に出た。残念ながら、自分の論文ではない。

Bahrami et al. (2010) Optimally interacting minds. Science 329, 1081-1085.

アブストラクト
In everyday life, many people believe that two heads are better than one. Our ability to solve problems together appears to be fundamental to the current dominance and future survival of the human species. But are two heads really better than one? We addressed this question in the context of a collective low-level perceptual decision-making task. For two observers of nearly equal visual sensitivity, two heads were definitely better than one, provided they were given the opportunity to communicate freely, even in the absence of any feedback about decision outcomes. But for observers with very different visual sensitivities, two heads were actually worse than the better one. These seemingly discrepant patterns of group behavior can be explained by a model in which two heads are Bayes optimal under the assumption that individuals accurately communicate their level of confidence on every trial.

どういう研究かというと、Visual Searchの課題を二人でやるSocial Psychophysicsで、被験者の二人が話し合うことで、情報をベイジアンに統合することがでるということが実証された。さらに、二人の能力を統合すると、個人の最大の能力を上回る結果をだすこともできる。

同じような統計的なモデルは、クロスモーダル(聴覚と視覚など)の1つの脳の中での情報の統合などに用いられてきたが、複数の脳内の信号が、人間同士のコミュニケーションによって統合可能であるということが示された。

この研究は、さらに突っ込んだことを検証していて、被験者同士が自分の試行ごとの確信度を相手に正確に伝えることが重要だということを明らかにした。

この論文を読んだだけでは、すぐに気づかないかもしれないが、これは意識と社会的コミュニケーションをつなぐ重要な発見だ。賛否両論あるかもしれないが、自分の知覚に関する確信度を正確に見積もるというのは、メタ認知であり意識的知覚の重要な要素である。タイプ2課題で意識的知覚の有無を評価するという立場からは、確信度が正確に評価できることが意識の操作的定義となっているからだ。

他者に自己の内面をコミュニケートすることは、意識的知覚のもたらす機能的側面であると考えられる。これまで、何のための意識で、何のためのメタ認知なのかということを機能的側面から考えた例は少ない。この社会性と意識研究のリンクができたことは、すごくエキサイティングなことだ。

「意識は他者とコミュニケーションを可能にする」

これまで、なんとなく社会性と意識の研究につながりを感じていた人はいるのではないだろうか。少なくとも、脳の機能を、「何のために」という目的から考えていくと、社会性の問題が気になっていた人は、自分以外にもいるだろう。でも、これを具体的にどういう場面で、意識と社会性が繋がるのかということを具体的に議論した例は知らない。

実は、このBahadorの研究は『個性のわかる脳科学』 を書いたときにはすでに知っていたが、未発表だったために書くことができなかった。この研究を含め、いくつかの未発表の研究のおかげで、自分の中で社会性と意識研究が繋がったのは、ちょうどそのときだった。その文脈でPrecuneusのこと(過去のエントリーを参照)も気になっていた。また、タイプ2課題が、ソーシャルな文脈で使えることなど、関連したことを書くに留めておいた。それでも、一つずつ関連論文が公になっていくことで、少しずつ自分の考えていることが、より深く書けるようになってきた。

BahadorはかなりUCLで信頼しているコラボレーターの一人で、いつも話すとおもしろい。このサイエンスの論文でも、最後の文章とかよくぞ書いたと思えるようなアイロニーたっぷりの文章でおもしろい。この論文がサイエンスにでたことは、すごくうらやましいと同時に嬉しい。

この意識との関連とは別の社会的な文脈で、Scientific Americanにコメントを書いた。英語版しかないけれど、興味のある人は参考にしてください。

Are Two Heads Better Than One? It Depends (Scientific American)

ちなみに、こういう英語で一般向けの記事を書くのは、普通の論文を書くよりも英語がネイティブでないことのハンディを感じる。でも、こういうのをもっとさらっと書けるようになりたい。

それから、最近「メタ認知」が意識研究にすごく重要な意味を持っているとつくづく感じる。来年の京都でのASSCにシンポジウムとして提案してみようかと思う。まあ、通るかはわからないけど、タイムリーでいろんな分野の人が興味を持つだろう。

 

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