社会性と意識の研究がつながった!!

先週、とてつもなくおもしろい論文がサイエンス誌に出た。残念ながら、自分の論文ではない。

Bahrami et al. (2010) Optimally interacting minds. Science 329, 1081-1085.

アブストラクト
In everyday life, many people believe that two heads are better than one. Our ability to solve problems together appears to be fundamental to the current dominance and future survival of the human species. But are two heads really better than one? We addressed this question in the context of a collective low-level perceptual decision-making task. For two observers of nearly equal visual sensitivity, two heads were definitely better than one, provided they were given the opportunity to communicate freely, even in the absence of any feedback about decision outcomes. But for observers with very different visual sensitivities, two heads were actually worse than the better one. These seemingly discrepant patterns of group behavior can be explained by a model in which two heads are Bayes optimal under the assumption that individuals accurately communicate their level of confidence on every trial.

どういう研究かというと、Visual Searchの課題を二人でやるSocial Psychophysicsで、被験者の二人が話し合うことで、情報をベイジアンに統合することがでるということが実証された。さらに、二人の能力を統合すると、個人の最大の能力を上回る結果をだすこともできる。

同じような統計的なモデルは、クロスモーダル(聴覚と視覚など)の1つの脳の中での情報の統合などに用いられてきたが、複数の脳内の信号が、人間同士のコミュニケーションによって統合可能であるということが示された。

この研究は、さらに突っ込んだことを検証していて、被験者同士が自分の試行ごとの確信度を相手に正確に伝えることが重要だということを明らかにした。

この論文を読んだだけでは、すぐに気づかないかもしれないが、これは意識と社会的コミュニケーションをつなぐ重要な発見だ。賛否両論あるかもしれないが、自分の知覚に関する確信度を正確に見積もるというのは、メタ認知であり意識的知覚の重要な要素である。タイプ2課題で意識的知覚の有無を評価するという立場からは、確信度が正確に評価できることが意識の操作的定義となっているからだ。

他者に自己の内面をコミュニケートすることは、意識的知覚のもたらす機能的側面であると考えられる。これまで、何のための意識で、何のためのメタ認知なのかということを機能的側面から考えた例は少ない。この社会性と意識研究のリンクができたことは、すごくエキサイティングなことだ。

「意識は他者とコミュニケーションを可能にする」

これまで、なんとなく社会性と意識の研究につながりを感じていた人はいるのではないだろうか。少なくとも、脳の機能を、「何のために」という目的から考えていくと、社会性の問題が気になっていた人は、自分以外にもいるだろう。でも、これを具体的にどういう場面で、意識と社会性が繋がるのかということを具体的に議論した例は知らない。

実は、このBahadorの研究は『個性のわかる脳科学』 を書いたときにはすでに知っていたが、未発表だったために書くことができなかった。この研究を含め、いくつかの未発表の研究のおかげで、自分の中で社会性と意識研究が繋がったのは、ちょうどそのときだった。その文脈でPrecuneusのこと(過去のエントリーを参照)も気になっていた。また、タイプ2課題が、ソーシャルな文脈で使えることなど、関連したことを書くに留めておいた。それでも、一つずつ関連論文が公になっていくことで、少しずつ自分の考えていることが、より深く書けるようになってきた。

BahadorはかなりUCLで信頼しているコラボレーターの一人で、いつも話すとおもしろい。このサイエンスの論文でも、最後の文章とかよくぞ書いたと思えるようなアイロニーたっぷりの文章でおもしろい。この論文がサイエンスにでたことは、すごくうらやましいと同時に嬉しい。

この意識との関連とは別の社会的な文脈で、Scientific Americanにコメントを書いた。英語版しかないけれど、興味のある人は参考にしてください。

Are Two Heads Better Than One? It Depends (Scientific American)

ちなみに、こういう英語で一般向けの記事を書くのは、普通の論文を書くよりも英語がネイティブでないことのハンディを感じる。でも、こういうのをもっとさらっと書けるようになりたい。

それから、最近「メタ認知」が意識研究にすごく重要な意味を持っているとつくづく感じる。来年の京都でのASSCにシンポジウムとして提案してみようかと思う。まあ、通るかはわからないけど、タイムリーでいろんな分野の人が興味を持つだろう。

 

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個人差の論文:1号

この前の、『個性のわかる脳科学』で一番メインのテーマとして書いたことだけど、自分の今の興味は、脳の構造をみるだけで、どこまで個人の性格や能力が予測できるかということだ。

その本を書いたときには当然、どっぷりその世界に浸かって研究をしていたわけだけど、自分の研究内容が未発表であったために含めることができなかった。それが非常に歯がゆかったのだけど、脳の構造シリーズの論文の一つ目が今日オンラインで出た。

Kanai, R., Bahrami, B. & Rees, G (2010) Human parietal cortex predicts individual differences in perceptual rivalry. Current Biology.

何と言っても、こういう個人差を扱う場合には、たくさんMRIスキャンをしないとならない。この論文では50人程度だが、3号、4号あたりになる論文では200人ぐらいになっている。そうとう週末ずっとスキャンしっぱなしの日々が思い出される。

それから、この論文がただの脳構造解析で終わってないと思うのは、構造から知覚の個人差と関係あると予想された場所に、脳刺激を加えたことだ。構造の解析だと、単に相関でしか見えないが、本当にその知覚と関係あるのかどうかをTMSで確認できれば、かなり確信がもてる。これは、これまでの構造解析の弱さを補完する重要な要素だろう。これをやったことで、この研究は自分でも気に入っている(だから、その分他の雑誌に落とされた時は、がっかりした)。

今回の論文はこのイリュージョンと関係がある。

Spinning

こういう映像をみていると、時計回りに回ったり、反対周りになったりする。この知覚の変化は脳の中でおきているのだけど、未だにこの切り替わる仕組みはよくわからない。不思議なことに、この知覚の変化が起きやすい人とそうでない人がいて、「躁鬱病」や「IQ」なんかと関係があると言われていた。だから、このような知覚の主観的な入れ替わりの個人差は、脳の中の注意の切り替えのような部位の発達度合いの違いを表しているのではないかというアイデアを試した。

それで、今回の研究で、こういう刺激をみて知覚の変化が良く起きる人は、頭頂葉の一部が大きいということがわかった。

今までこういう心理実験をしてても、個人差はあまり気にしていなかったけど、ちょっとした実験で脳の特定の部位の大きさがわかるというのはすごく興奮する。

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Subjective Discriminability of Invisibility

久しぶりに論文がでた。自分ではものすごく重要だと思う内容だけど、ずいぶんいろんな雑誌に落とされて、最終的にはConsciousness & Cognitionというとこでin pressの状態になった。

これがその論文。
Kanai_ConsCogn_SDI.pdf.zipをダウンロード

どういう話かというと、意識の研究をする時に、網膜に刺激が映っていても、意識に上らないような状況を引き起こす方法がいろいろあるけれど、その「みえない」という状況には種類があるのではないかということを信号検出理論のタイプ2課題を改良したSDIという指標で示した。

刺激が見えないときに、それが主観的に刺激が存在しないのと区別がつかない状態なのか、それとも自分で(注意していなかったからなどの理由で)見えなかったことに気づいているかで、主観的に「みえない」状態が区別できる。これは、p-consciousnessがない状態とa-consciousnessがない状態に対応しているのではないかと考えているが、そこまではトークでは言えても、論文では書けなかった。

たぶん、秋にASCONEで講義をするときには、この研究の話とその続きの研究について話そうと思う。けっこうややこしい話でもあるから、詳しい内容に興味があるひとは元の論文を見てください。

今のところ、自分の興味はタイプ2課題に収束してきている。この前、日本で出した本(個性のわかる脳科学)で社会性の脳科学のような内容について書いた。あの本を書いたことは、自分の中の興味を整理するのに役に立った。社会性と意識はまったく無関係の研究テーマのようだけれど、タイプ2課題というかメタ認知的な部分では共通点が多い。この辺のことも、実際に論文が出始めてくれると、公表できるようになるだろう。

脳の部位的には、Precuneusが非常に気になる。Cavanna & Timble (2006) のprecuneusのレヴューを見ると、この部位が「自己と他」や「共感」などの社会的な能力に関わる一方で、意識にも重要であることがわかる。このレヴューだけみると、何をやっているかよくわからない脳部位だという印象かもしれないが、自分のなかで「社会性」と「意識」に共通項が見つけられた気がする。総合的に見るとPrecuneusは「内省」のような機能を果たしているように思える。この部位がもつメタ認知的に自己の知覚内容や認知能力を捉えるという機能は、タイプ2課題で測られるアウェアネスで、意識にも社会的コミュニケーションの両方の基盤となっているのではないか。

もしサルでPrecuneusを取り除いたら、V1があっても知覚のメタ認知ができないというblindsightと同じ状況になるんじゃないだろうか。

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情報過多 (Information overflow)

日本からロンドンに帰ってきました。

今回の日本での日本神経科学大会でのシンポジウムも良い経験になったし、岡崎での意識のワークショップも内容がとにかく濃かった。それについてもいろいろ書きたいことはあるが、日本にいる間にたくさんの人と出会って話をしている内に、前々から気になっていたことが自分の中で明確になった。それは2つある。

ひとつは、以前のエントリーでも何度も書いたが、脳科学が実世界に影響をもつためには何が必要かということ。神経科学大会で、ATRの神谷さんのオーガナイズしていた「現実世界に挑むニューロイメージング」というシンポジウムの題名もまさに「現実世界」を意識したものだし、そのなかでJohn-Dylan Haynesがニューロテクノロジー(neurotechnology)という言葉を持ち出していたのが印象的だった。それから、(例によって土谷に薦められて)帰りの飛行機の中で読んだ藤井直敬さんの本でも、インターネットとの比較で脳科学が現実世界にまだまだ実質的な影響を及ぼしていないということが書かれていた。

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おそらく脳科学者の間でも、現実世界への応用や影響力というものがメディアで取り上げられるほど実現していないという感覚が広がってきているのだろう。その一方でBMIなどで、現実世界への応用の可能性も見え隠れするようになり、本格的に役に立つ脳科学を提案していくことができると感じているのかもしれない。

これがひとつ目の気になっていることではあるが、今回はもうひとつの気になること、「情報過多の世界」について書こうと思う。

ここ5年間ぐらいの間、パソコンに向かって仕事をしているときなどに、同時にたくさんの情報を処理しなければ行けない状況が毎日続いている。論文を読んだり書いたり集中力を必要とする仕事をしている最中にも、友達がチャットで話しかけてきたり、同時に聞いているポッドキャストが気になったり、電話もかかってくるし、被験者から次のアポイントメントをどうするかとメールが来たりする。さらにオフィスの同僚も、まったく関係ない話をしてきて追い打ちをかけてくる。さらにmixiの横にでてくるどうでもいいニュースにも気をとられ、なんとか自分の仕事を完成させるために集中しようとすると、精神力を使い果たす。

同時に複数のメディアから情報をとりいれ、仕事上の対処をしていくようなマルチタスクの状況はますます加速していくばかりだ。仕事だけでも、大きな画面二つでたくさんウィンドウを開いて、いくつもの計算処理を同時に行ったりする。こういう状況を、現代人のほとんどが経験しているはずだ。情報へのアクセスが簡単になった結果、入ってくる情報の量が個人が意識的に処理できる量をあきらかに越えている。自分より少し若い世代になると、まさにマルチタスクの環境で育っているからか、それほどこの状況に困っていないようにも見える。

マルチタスクをしながら目標の課題を完成させていく能力というのは、今後ますます重要になっていくだろう。その中で、マルチタスクの環境に脳は適応できるのか、またはマルチタスクが巧いか下手かというのは、脳のどのような違いによるものかという疑問が浮かんでくる。

この文脈でおもしろい論文が最近PNASにでていた。

Ophir, Nass & Wagner (2009). Cognitive control in media multitaskers. PNAS

この論文では、日常的にマルチタスクをどのくらい行っているかを個人について問診票(アンケートのようなもの)で調べ、その中で日常的にマルチタスクの量が多い人と少ない人の間で、認知課題における能力の違いを調べている。ここでは課題と無関係な情報に気を取られずに課題の遂行に重要な情報だけにどれだけ集中できるかを調べるような実験をいくつも行っている。その結果、マルチタスクを日常的にたくさん行っている人は、無用の情報に注意を引かれやすいということがわかった。

これがこの論文の主な発見なのだが、残念ながらこれだけでは、因果関係がやはりわからない。無視すべき情報を無視できないひとがマルチタスクな生活を送りやすくなっているのか、あるいはマルチタスクを毎日行うことで、無関係な情報に注意が向いてしまうように脳が発達したのか区別することができない。当然両方の可能性があるだろうし、さらに実験をすればその区別をつけることは可能だ。

ただ、「集中力がない」というのはネガティブに取られがちだが、もしかしたら「集中力がない」というのは一つの側面にすぎず、「いろいろなモノに気を配ることができる」という能力なのかもしれない。おそらく時と場合に応じて両方の能力が必要だろう。ゴールが見えている仕事を完成させようというときは、「集中力」は明らかに必要になる。でも、日常的には、何かに没頭していて、周りが見えていなければ、向かってくる車にも気づかないというような危険もある。新しいアイデアを生み出すには、今すぐ利益(課題遂行)につながらない無関係な情報も取り入れて自分の無意識の中で熟成させておくことも必要だ。そもそも、今回「マルチタスク」について書こうと思ったのも、日本を旅しているときにいろいろ人との会話の断片と、自分の研究に直接関係がなくても興味があって読んでいた論文などが、頭の中で組み合わさって生まれてきたものだ。

その関連で、「気が散りやすい人」の脳がどう違うかなども見ているが、実際「気が散りやすい人」の脳はすごく発達している(灰白質が多い)。正式に論文になるまでは、詳しいことは書けないが、やはり「気が散る」というのは、脳に秘められた能力の一つなのではないかと思えてくる。

それから今回京都大学の経済学部を訪問したときに、「情報過多」と脳について考えさせられることがあった。ひとつは、原良憲先生という方と少しだけ話す機会があったのだが、「新しいアイデアというのは、どのような状況で生まれてくると思うか?」という質問を受けた。詳しいことはわからないが、原先生は「イノベーション」について研究しているということなので、おそらくその観点からの質問だったのだろう。

そのときに、アイデアというのはやはり常に潜在的に自分が多様な情報を浴びているということが必要なのではないかと思った。その対局に一つのことに集中して、ブレークスルーを起こすというスタイルもある。でも自分の実感としては、より日常的に発生しているレベルのアイデアは、少し離れた分野間で相性の良い組み合わせを見つけてくるようなことが多い。そういう意味で、もしかしたら「情報過多」の世界で少し気が散っているぐらいのほうがクリエイティブな素養が育つのではないか。まあ、その一方でおもしろい話をたくさん知ってはいるが、生産的なアウトプットに結びついていない人がいることも事実だ。それから、一見無関係な情報の間に関係性を見いだし価値を生み出すというのも別のセンスが必要そうだ。

だから、標準的なアイデアから達成までのプロセスには3段階あるだろう。

  1. いろいろなことに興味をもって、たくさんの情報を浴びる
  2. 個別の情報を自分のなかで整理して、意味のあるつながりを見つけ出す
  3. 最終的な形のあるものに還元するために、集中して実行する

この2つ目のステップは、睡眠とも関係が深いだろう。睡眠中に一日の間に得た情報の整理が起きるような話はよくあるし、以前紹介したMatt Walkerの論文などでは、個別の関係性の学習から、全体像を睡眠中に再構成するような学習が起きることがしめされている。それから主体的に問題意識をもって情報を取り入れることも重要だろう。

それから、これは推測だが、睡眠に限らず「休憩」にも情報を整理する役割があるのではないかと思う。個人的な観察だが、日常的に雑多な情報を浴びている人は、なんらかの「休憩」をもうけている。パズルゲームに没頭する人や、瞑想的なことをするひと、youtubeでお笑いやアニメをみるひと、たぶんこういった無駄にみえる活動もクリエイティブな活動をする上で、脳が自然に渇望してしまう行動なのかもしれない。こういった「休憩」が実際に認知機能や学習に実際に効果があるかはわからないし、単に現実逃避のストレス解消にすぎないのかもしれないが、興味深い現象だ。

研究者に限らず、新しいアイデアと情報を生み出す重要性は先進国では、どの産業でも同じだろう。集中タイプの人と、発散タイプの人がある程度個人の脳の特性としてありそうだということを考えると、その両者を組み合わせてグループを作ることで、組織としての生産性をあげることはできるのではないだろうか。


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意識と時間

そもそも時間の知覚に興味を持つようになったのは、「意識があるということ」と「時間の流れを感じること」は切っても切り離せない関係にあると思っていたからだ。眠って意識がないときには、時間が刻々と経過しているという感覚はない。(もちろん目が覚めてから、時計をみたり、よく寝たことによる体の回復を感じて事後的に時間の経過を認識していることはある。)一方で、目を覚まして意識のある状態では、なんの感覚の入力がなくても、自分という意識を持った存在が時間の中を流れているのを感じる。

だから、時間の流れを感じる仕組みがわかれば、意識のことがわかるのではないかと思った。

それで実際に時間の研究をしてみたら、これがなかなか意識とつながってこない。まず、時間感覚に関する過去の心理学研究の状況がかなり混乱している。いままでいくつかの分野の文献を読んできたが、時間知覚はとくにごちゃごちゃしている。そして、時間知覚の研究にはまればはまるほど、最初の興味の意識との関係は遠のいていく。

そもそも「なんで時間が流れるのか」というおおざっぱな問題では、新しい仮説を生み出すような実験にはなかなかたどり着かない。意味のある実験にたどり着くことができなければ、哲学者の〈下手な考え〉になってしまう。フッサールももっと前の哲学者も、似たようなことは考えていた。哲学者に恨みはないが、科学の発見と比較して、現在手に入る情報だけをもとに考えていても、わかることは限られているだろうと思うのだ。

そんな中、意識と時間を繋いだおもしろい論文に出会った。

Limits on Introspection by Corallo et al. (2008).

この論文ではIntrospective RT(反応時間の内省的評価)という尺度を用いて、被験者に刺激に対して反応するのにかかった時間を内省によって答えてもらっている。二つの課題をほぼ同時に遂行しているとき、二つ目の課題に対する反応時間が遅くなる(psychological refractory-period, PRPと呼ばれる現象)のだが、このようなdual task条件で、二つ目のタスクにかかったと思われるintrospective RTは遅くなっていないというデータを出している。この客観的なRTと内観的なRTとの乖離から、著者はPRPによる遅れの時間は主観的に知覚されないと結論づけている。このような時間知覚に貢献する脳内の現象は、DehaeneのGlobal Workspaceへのbroadcastingと同列のものであると考えているようだ。

これはまるで意識のrefractory periodには時間の経過を感じていないという現象のようだ。

それから、PRPのような実験で、refractory periodの最中にどのようなcognitive processにアクセスできるのかを調べているという点も非常に珍しいおもしろい研究だと思った。

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社交性のある脳

ここしばらく学会などで旅をしていた。
フロリダのVSS以来、途中ロンドンには立ち寄って洗濯する程度で、ベルリンのASSCへもいき、そして日本の生理研での研究会にも参加した。

その間にたくさんの脳科学や意識についての講演を聴き、自分でも計6回ほど人前でふがいない発表をしたりした。毎日たくさんの人と会い、いろんなテーマについて話し合った日々が1月ほど続いたわけだ。それだけ、そうとう気になる話が頭の中に溜まっていてこのブログにも書きたいことがいろいろある。

それもまた身の回りの整理ができたら書くとして今日は一般的に面白そうな論文紹介をしようと思う。

その論文がこれ。

The Brain Structural Disposition to Social Interaction by Lebreton et al. (2009) in Eur J Neurosci.

「脳の構造の違いで個人がどれだけ社交的かがわかるか?」というのを調べた研究。MRIでみたgray matterの量と社会的交流をどのくらいリワードとして感じているかの相関を見ると、orbitofrontalとかventral striatumのgray matter densityが高い人ほどフレンドリーだったという話。social reward dependenceというのを、Cloninger's TCIというアンケートで求めていて、その人たちのMRI画像と相関を取ったVBM(voxel-based morphometry)の研究。この研究のすごさをおおざっぱに言ってしまうと、脳をみただけである程度その人がフレンドリーな人かわかってしまうということだ。こういう研究はこれから社会に大きな影響を与えていくと思う。

ただ、問題はこういう研究では因果関係がさっぱりわからない。生まれつきリワードと関係した部位が発達する遺伝子をもっていたから社交的な人間性になったのか、社交的な人間性だったからリワードと関係した部位が発達したのか。おそらくそういう場面で脳刺激は因果関係を確立するために活躍するだろう。

ただ、まえから気になっていたのが、tDCSではよくレファレンスを刺激部位と反対の眉毛の上あたりにつけることがある。それだとorbitofrontalを刺激してしまうからあまりやらないようにしているが、実験の種類でBA10を刺激する実験をしていたときに気になったことがあった。どうも実験中とか休憩中に被験者がよくしゃべるようになる。社交性があがるかどうかの実験ではなくてワーキングメモリの実験だったから、じっさいによくしゃべるようになったのか計測していないが、もしかしたら本当に効果があったのかもしれない。あくまでも主観的印象だが。

いま自分でもVBM風のこと(cortical thicknessとDTIも含む)をやっていて、本当に因果関係があるのかわからないようなとんでもないものでも相関を見ることができてしまう。因果関係までみるためには相関のあった部位に脳刺激を与えて機能が実際に変化するところまで確認する必要がある。

いってみれば手相占いのようなものだけど、実際に統計にかけてチャンスより高い確立であたっていることを示す必要がある。そして、因果関係を確立するというのは、手相を書き換えたら本当に寿命が延びるかということをテストすることにあたる。

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Transcranial Alternating Current Stimulation (tACS)

ついに一年前にロンドンに来てから初の論文がでた。

Kanai, R., Chaieb, L., Antal, A., Walsh, V. & Paulus, W. (2008). Frequency-dependent electrical stimulation of the visual cortex. Current Biology

基本コンセプトは、頭皮につけた電極から脳波に近い周波数で電流を脳に送り込むと、フォスフィンという光が見えるという内容。TMSで視覚野を刺激をしてもフォスフィンは見えるが、TMSだと一瞬しか見えないものが、この論文で紹介しているTranscranial Alternating Current Stimulationという新しいテクニックを使えば、ずっと見えっぱなしにすることができる。

なんでこの刺激でフォスフィンが見えるのかというメカニズムについては、今の時点では予想はできてもはっきりした答えはない。いまのところは、EEGで観測される周波数と共鳴現象のようなことが起きているのではないかと考えている。

今後は、これまでEEGの周波数解析ででてくるような振動を直接脳に送り込むことで、ベータ波やガンマ波を外から変化させることで、脳内の振動現象の機能的な意味を解明する手法として役に立てばいいなと思う。

 

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サッカードと視覚処理のサイクルとトランジェントの関係について

1時間ぐらいのトークをやってくれと頼まれることがたまにある。たいていそういうときは、その時自分がやってることで一番面白いと思っている研究について話すのだが、イギリスに来てからは自分が少し前にやっていたことを話すようになった。

11月に来てから、3回、人前で自分の研究の話をしたのだけど、毎回同じ話をしていた。準備が楽とかそういうこともあるけれど、自分の気になっているアイデアを正直に話したらどういう反応があるのか知りたかったからあえて同じテーマを選んだ。

日本の心理学評論という雑誌に、自由に自分の研究について書かせてもらえる機会をいただいたので、それを機に、今まで気になっていたそのアイデアを日本語で文章にしてみた。関係ある論文すべてを網羅的にレヴューするには至っていないけれど、おおまかなアイデアを伝えるのに十分な情報は盛り込むことができたと思う。これが原稿のpdf (「心理学評論の原稿.pdf」)。

このレヴューに書いたアイデアというのは、今まで自分が研究していたフラッシュなどのトランジェントが知覚に影響を与える現象やマスキングなどは、眼球運動(とくにサッカード)時にV1あたりの初期視覚野での意識に上っている活動をいったんリセットするのが本質的な機能で、そう考えればかなりの視覚研究の対象となっている現象がまとめて理解できるということだ。

<要旨のコピー>
我々の身の回りの視覚環境において、突然の変化には生物の生存にとって重要な情報が含まれていることが多い。視覚的な動物はそのようなトランジェントと呼ばれる突然の変化によってもたらされる情報を選好的に処理するような仕組みを持っている。本稿では、まず始めにトランジェントによって引き起こされる知覚が変化する現象について概観し、 その後にトランジェントがなぜそのような現象を引き起こすのか理解するため眼球運動の文脈から考察する。トランジェントによって引き起こされる知覚の消滅や変化は、トランジェント呈示直前までに確立されていた知覚をリセットし、新たな知覚の形成を促すことによって引き起こされていると解釈ができる。そのようなリセット機能はサッカードと呼ばれる急速な眼球運動の前後での情報の混合を避けるために有用であると考えられる。実際に、サッカードが生じるたびに網膜のレベルでは、古い刺激が消えて新しい刺激が現れるというトランジェント信号が生じている。このことから、トランジェントによって引き起こされる錯視は、サッカード間での視覚的痕跡(persistence)の継続を断つという本来の機能が根底にあるのではないかと提案する。眼球運動の制御系と視覚処理系はお互いを制限条件として共進化してきた結果、サッカード時に生じるオンセットとオフセットのトランジェントを視覚系はリセットのシグナルとして有効に利用するようになったのだと考えられる。ここでの、眼球運動と視覚処理の相互関係の枠組みは様々な視覚神経科学で知られている現象を統一的に機能的側面から理解するのに役立つであろう。

ある意味、ここで言っていることは常識的なことで当たり前だと思う人もいるかもしれない。そのかわり、今まで自分が新しい実験を考えたりするときには、サッカードとトランジェントの関係は表面に出さないまま、密かに自分の考え方として使っていたと思う。本当は、自分の博士論文のときにイントロかサマリーで書いておきたかったことだけど、他にも書くことがあって、サッカードの話は少ししか触れることができなかった。一応なりにも、自分の考えをまとめて書いたことで、今まで潜在的に使っていた思考の枠組みを他人に説明することができる。日本語でたまには自分の研究について書いてみるのも悪くないな。

ところで、この心理学評論で引用しているMichael LandのAnimal Eyesという本はすごく面白い。
アメリカのアマゾンではどうもJack Pettigrewらしきひとがコメントしている。

Animal Eyes (Oxford Animal Biology Series)BookAnimal Eyes (Oxford Animal Biology Series)


著者:Michael F. Land,Dan-Eric Nilsson

販売元:Oxford University Press, USA
Amazon.co.jpで詳細を確認する

自分が京大の学部生だった頃、マウスの眼球運動をせっせとみていたわけだが、なんか常にVORとかOKRは十分なゲインがでてなくて、全然視野のぶれを保障できてないからこんなもんかとおもっていたけれど、どうも身体の動き全体を含んだ視野の変化を考えればきっとマウスも相当安定した凝視をしているのではないかと、今更ながらに思う。

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Transcranial Direct Current Stimulation (tDCS)

脳を外から刺激する方法として Transcranial Magnetic Stimulation (TMS)という手法があるが、それとは別に、もっと単純なtranscaranial direct current stimulation (tDCS)というのが割と注目を集めている。

単に頭に電極をつけて、数mAの電流を流すだけで、果たして本当に脳に影響があるのかと疑問だが、どうもほんとに効果があるようだ。

tDCSに関する最近のレヴューとしては、以下を参照。
Wassermann & Grafman (2005)

Wagner et al. (2007)

まず、おもしろいと思うのは、電極の極性によって効果が逆向きになることだ(例外もいろいろある)。たいていの場合、アノードは刺激部位の機能を高めて、カソードが刺激部位の機能を妨げるか効果がないというパターンが多い。さらに、機能があがっているという実験がたくさんあるところが面白い。

なんでこんな効果がそもそもあるのかというのも疑問だが、ニューロンの自発発火(あるいは反応性)のベースラインをシフトさせているのではないかと考えられている。Polarizationの単一ニューロンに与える影響についての古い論文が引用されている(Terzuolo and Bullock, 1956

tDCSを用いた視覚野に与える影響もいくつか研究がある。
Antal et al. (2006) たとえば、MTをターゲットにするとmotion aftereffectが弱くなるなんていう実験もあるAntal et al. (2004a) Antal et al. (2004b)

視覚の話では、おおざっぱな刺激で何かが変わってもそれほど一般の人が興味を持つような話にはならないだろうし、視覚の研究者にとってはおおざっぱすぎてそれほど科学として面白くないかもしれない。むしろ、学習能力が上がるとかそういう話を聞くと、自分でも勉強しているときに脳を刺激してみようかと思ってしまう。なにしろ、この刺激方法はお手軽だ。自宅でTMSをするのは難しそうだけど、tDCSならできる。

潜在学習の促進
Kincses et al. (2004)

ワーキングメモリーの促進
Fregni et al. (2005)

これはDCというよりはACだけど頭の外からの刺激で睡眠中の学習も促進することができる。
Marshall et al (2006)

さらには、個人のリスクをとる傾向(risk taking behavior)をバイアスすることまでできる。
Facteau et al. (2007)

tDCSはTMSに比べると刺激している脳の領域が広くて、正確にどこを刺激しているかよくわからないという問題があるから、脳の機能を詳細に調べようという研究には不向きかもしれないが、TMSに比べるとずっと日常的に利用可能な装置だから、実際に人間を助ける実用的なものになる可能性がある。

鬱病に対する効果なんかも調べられていて、病理についてはよくわからないが、本当に効果があればこれで助かる人も出てくるだろう。

もしかしたら、未来では状況に応じて一時的に脳の機能を高めるようなことが日常になるのではないかと想像をかき立てられる面白いテクノロジーだ。テスト前の学生とか、記憶力アップの刺激を脳に入れて勉強するようになるかもしれない。効果があるなら、自分でもやってみたいし、ちょっと試しにやってみようかと思う。ミーティングでアイデアを出し合うときに、発想力を高めるために発想脳を刺激して話し合ったら、いいアイデアがたくさん出てくるかもしれない。

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Prefrontalのtemplate

すこし前の論文だけど、最近読んで自分にとってインパクトがあった論文がある。

Predictive codes for forthcoming perception in the prefrontal cortex by Summerfield et al. 2006 in Science

Medial prefrontal cortexに顔に反応する部位があるのだけど、この実験では写真をdegradeして何の写真だかわかりにくくした上で、画面上の写真が顔かどうかを判断するタスクをしているときにこの部位が活動を示すということが示された。FFAなどのように顔に反応する部位がprefrontalにもあるというのではなくて、prefrontalのこのエリアはトップダウンで顔をテンプレートマッチングしているのだと結論づけている。実験のデザインがエレガントなのも印象的だが、supplementalではleft lateral prefrontal cortexには同じように家のtemplate matchingをしている場所があることも示していた。

この論文の例のように、刺激選択性のある高次視覚野のような反応をみせるprefrontalのエリアが、タスク時にテンプレートとして機能しているという考えを、今までなんだろうと不思議だったprefrontalの反応に当てはめてみると考えさせられる(たとえば、このmotion direction selectiveなprefrontalのneuronと、Kaksas & Pasternak 2006)。

それから、もう1つ。
Unconscious activation of the cognitive control system in the human prefrontal cortex Lou & Passingham 2007

どういう実験かというと、タスクは呈示された文字に対して、phonological judgmentかsemantic judgmentをすることで、、どっちのタスクをするかは□か♢のどちらが呈示文字の前に呈示されたかで決まる。そのタスクを決めるシンボルがでる直前に□か♢が意識にのぼらないように呈示されていて、そのことによってタスクに対するプライミングがおきる。この実験パラダイムの面白いところは、プライムが見えてないときにしか、タスクに対するプライミングが起きないというところだ。

それで、fMRIでこのタスクに対するプライミングがどこで起きているかというのを調べた。phonologicalなタスクに関わる場所としてleft ventral premotor、semanticなタスクに関わる場所としては、left inferior prefrontalとleft temporal gyrusを選んで、それぞれの場所でプライムとタスクがcongruentだった場合とincongruentだった場合を、プライムがvisibleな場合とinvisibleな場合で比べている。そうすると、behaviorどうりプライムがinvisibleなときだけ、congruencyの効果がそれぞれの場所で見えるという話だ。

よく読むと、いいとこだけとってなんか微妙だなと感じさせるところはあるものの、見えない刺激がどこまで高次機能に影響を及ぼすことができるのかという文脈では面白い研究だ。Crick&Kochの昔の仮説だと、prefrontalに直接投射していることがNCCの条件だというのがあったが、prefrontalをactivateするだけでは意識にのぼらないという例としてHakwanの研究は意義があるだろう。タイトルの付け方からも、その辺をウリにしているようにも見える。でも、Kochの本では、一定時間持続的に活動することがNCCの条件だといっているから、プライミングのような一時的な活動の増加は、必ずしもprefrontalが重要でないという反例にはならないだろう。


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