サッカードと視覚処理のサイクルとトランジェントの関係について

1時間ぐらいのトークをやってくれと頼まれることがたまにある。たいていそういうときは、その時自分がやってることで一番面白いと思っている研究について話すのだが、イギリスに来てからは自分が少し前にやっていたことを話すようになった。

11月に来てから、3回、人前で自分の研究の話をしたのだけど、毎回同じ話をしていた。準備が楽とかそういうこともあるけれど、自分の気になっているアイデアを正直に話したらどういう反応があるのか知りたかったからあえて同じテーマを選んだ。

日本の心理学評論という雑誌に、自由に自分の研究について書かせてもらえる機会をいただいたので、それを機に、今まで気になっていたそのアイデアを日本語で文章にしてみた。関係ある論文すべてを網羅的にレヴューするには至っていないけれど、おおまかなアイデアを伝えるのに十分な情報は盛り込むことができたと思う。これが原稿のpdf (「心理学評論の原稿.pdf」)。

このレヴューに書いたアイデアというのは、今まで自分が研究していたフラッシュなどのトランジェントが知覚に影響を与える現象やマスキングなどは、眼球運動(とくにサッカード)時にV1あたりの初期視覚野での意識に上っている活動をいったんリセットするのが本質的な機能で、そう考えればかなりの視覚研究の対象となっている現象がまとめて理解できるということだ。

<要旨のコピー>
我々の身の回りの視覚環境において、突然の変化には生物の生存にとって重要な情報が含まれていることが多い。視覚的な動物はそのようなトランジェントと呼ばれる突然の変化によってもたらされる情報を選好的に処理するような仕組みを持っている。本稿では、まず始めにトランジェントによって引き起こされる知覚が変化する現象について概観し、 その後にトランジェントがなぜそのような現象を引き起こすのか理解するため眼球運動の文脈から考察する。トランジェントによって引き起こされる知覚の消滅や変化は、トランジェント呈示直前までに確立されていた知覚をリセットし、新たな知覚の形成を促すことによって引き起こされていると解釈ができる。そのようなリセット機能はサッカードと呼ばれる急速な眼球運動の前後での情報の混合を避けるために有用であると考えられる。実際に、サッカードが生じるたびに網膜のレベルでは、古い刺激が消えて新しい刺激が現れるというトランジェント信号が生じている。このことから、トランジェントによって引き起こされる錯視は、サッカード間での視覚的痕跡(persistence)の継続を断つという本来の機能が根底にあるのではないかと提案する。眼球運動の制御系と視覚処理系はお互いを制限条件として共進化してきた結果、サッカード時に生じるオンセットとオフセットのトランジェントを視覚系はリセットのシグナルとして有効に利用するようになったのだと考えられる。ここでの、眼球運動と視覚処理の相互関係の枠組みは様々な視覚神経科学で知られている現象を統一的に機能的側面から理解するのに役立つであろう。

ある意味、ここで言っていることは常識的なことで当たり前だと思う人もいるかもしれない。そのかわり、今まで自分が新しい実験を考えたりするときには、サッカードとトランジェントの関係は表面に出さないまま、密かに自分の考え方として使っていたと思う。本当は、自分の博士論文のときにイントロかサマリーで書いておきたかったことだけど、他にも書くことがあって、サッカードの話は少ししか触れることができなかった。一応なりにも、自分の考えをまとめて書いたことで、今まで潜在的に使っていた思考の枠組みを他人に説明することができる。日本語でたまには自分の研究について書いてみるのも悪くないな。

ところで、この心理学評論で引用しているMichael LandのAnimal Eyesという本はすごく面白い。
アメリカのアマゾンではどうもJack Pettigrewらしきひとがコメントしている。

Animal Eyes (Oxford Animal Biology Series)BookAnimal Eyes (Oxford Animal Biology Series)


著者:Michael F. Land,Dan-Eric Nilsson

販売元:Oxford University Press, USA
Amazon.co.jpで詳細を確認する

自分が京大の学部生だった頃、マウスの眼球運動をせっせとみていたわけだが、なんか常にVORとかOKRは十分なゲインがでてなくて、全然視野のぶれを保障できてないからこんなもんかとおもっていたけれど、どうも身体の動き全体を含んだ視野の変化を考えればきっとマウスも相当安定した凝視をしているのではないかと、今更ながらに思う。

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Transcranial Direct Current Stimulation (tDCS)

脳を外から刺激する方法として Transcranial Magnetic Stimulation (TMS)という手法があるが、それとは別に、もっと単純なtranscaranial direct current stimulation (tDCS)というのが割と注目を集めている。

単に頭に電極をつけて、数mAの電流を流すだけで、果たして本当に脳に影響があるのかと疑問だが、どうもほんとに効果があるようだ。

tDCSに関する最近のレヴューとしては、以下を参照。
Wassermann & Grafman (2005)

Wagner et al. (2007)

まず、おもしろいと思うのは、電極の極性によって効果が逆向きになることだ(例外もいろいろある)。たいていの場合、アノードは刺激部位の機能を高めて、カソードが刺激部位の機能を妨げるか効果がないというパターンが多い。さらに、機能があがっているという実験がたくさんあるところが面白い。

なんでこんな効果がそもそもあるのかというのも疑問だが、ニューロンの自発発火(あるいは反応性)のベースラインをシフトさせているのではないかと考えられている。Polarizationの単一ニューロンに与える影響についての古い論文が引用されている(Terzuolo and Bullock, 1956

tDCSを用いた視覚野に与える影響もいくつか研究がある。
Antal et al. (2006) たとえば、MTをターゲットにするとmotion aftereffectが弱くなるなんていう実験もあるAntal et al. (2004a) Antal et al. (2004b)

視覚の話では、おおざっぱな刺激で何かが変わってもそれほど一般の人が興味を持つような話にはならないだろうし、視覚の研究者にとってはおおざっぱすぎてそれほど科学として面白くないかもしれない。むしろ、学習能力が上がるとかそういう話を聞くと、自分でも勉強しているときに脳を刺激してみようかと思ってしまう。なにしろ、この刺激方法はお手軽だ。自宅でTMSをするのは難しそうだけど、tDCSならできる。

潜在学習の促進
Kincses et al. (2004)

ワーキングメモリーの促進
Fregni et al. (2005)

これはDCというよりはACだけど頭の外からの刺激で睡眠中の学習も促進することができる。
Marshall et al (2006)

さらには、個人のリスクをとる傾向(risk taking behavior)をバイアスすることまでできる。
Facteau et al. (2007)

tDCSはTMSに比べると刺激している脳の領域が広くて、正確にどこを刺激しているかよくわからないという問題があるから、脳の機能を詳細に調べようという研究には不向きかもしれないが、TMSに比べるとずっと日常的に利用可能な装置だから、実際に人間を助ける実用的なものになる可能性がある。

鬱病に対する効果なんかも調べられていて、病理についてはよくわからないが、本当に効果があればこれで助かる人も出てくるだろう。

もしかしたら、未来では状況に応じて一時的に脳の機能を高めるようなことが日常になるのではないかと想像をかき立てられる面白いテクノロジーだ。テスト前の学生とか、記憶力アップの刺激を脳に入れて勉強するようになるかもしれない。効果があるなら、自分でもやってみたいし、ちょっと試しにやってみようかと思う。ミーティングでアイデアを出し合うときに、発想力を高めるために発想脳を刺激して話し合ったら、いいアイデアがたくさん出てくるかもしれない。

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Prefrontalのtemplate

すこし前の論文だけど、最近読んで自分にとってインパクトがあった論文がある。

Predictive codes for forthcoming perception in the prefrontal cortex by Summerfield et al. 2006 in Science

Medial prefrontal cortexに顔に反応する部位があるのだけど、この実験では写真をdegradeして何の写真だかわかりにくくした上で、画面上の写真が顔かどうかを判断するタスクをしているときにこの部位が活動を示すということが示された。FFAなどのように顔に反応する部位がprefrontalにもあるというのではなくて、prefrontalのこのエリアはトップダウンで顔をテンプレートマッチングしているのだと結論づけている。実験のデザインがエレガントなのも印象的だが、supplementalではleft lateral prefrontal cortexには同じように家のtemplate matchingをしている場所があることも示していた。

この論文の例のように、刺激選択性のある高次視覚野のような反応をみせるprefrontalのエリアが、タスク時にテンプレートとして機能しているという考えを、今までなんだろうと不思議だったprefrontalの反応に当てはめてみると考えさせられる(たとえば、このmotion direction selectiveなprefrontalのneuronと、Kaksas & Pasternak 2006)。

それから、もう1つ。
Unconscious activation of the cognitive control system in the human prefrontal cortex Lou & Passingham 2007

どういう実験かというと、タスクは呈示された文字に対して、phonological judgmentかsemantic judgmentをすることで、、どっちのタスクをするかは□か♢のどちらが呈示文字の前に呈示されたかで決まる。そのタスクを決めるシンボルがでる直前に□か♢が意識にのぼらないように呈示されていて、そのことによってタスクに対するプライミングがおきる。この実験パラダイムの面白いところは、プライムが見えてないときにしか、タスクに対するプライミングが起きないというところだ。

それで、fMRIでこのタスクに対するプライミングがどこで起きているかというのを調べた。phonologicalなタスクに関わる場所としてleft ventral premotor、semanticなタスクに関わる場所としては、left inferior prefrontalとleft temporal gyrusを選んで、それぞれの場所でプライムとタスクがcongruentだった場合とincongruentだった場合を、プライムがvisibleな場合とinvisibleな場合で比べている。そうすると、behaviorどうりプライムがinvisibleなときだけ、congruencyの効果がそれぞれの場所で見えるという話だ。

よく読むと、いいとこだけとってなんか微妙だなと感じさせるところはあるものの、見えない刺激がどこまで高次機能に影響を及ぼすことができるのかという文脈では面白い研究だ。Crick&Kochの昔の仮説だと、prefrontalに直接投射していることがNCCの条件だというのがあったが、prefrontalをactivateするだけでは意識にのぼらないという例としてHakwanの研究は意義があるだろう。タイトルの付け方からも、その辺をウリにしているようにも見える。でも、Kochの本では、一定時間持続的に活動することがNCCの条件だといっているから、プライミングのような一時的な活動の増加は、必ずしもprefrontalが重要でないという反例にはならないだろう。


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脳の進化と社会性

人類や霊長類が理性を持つように脳の進化したのは、サルなどが「社会」を持つようになって、他者の気持ちを理解し協力していく能力が必要となったからだという仮説がある。この理論については、ByrneとWhitenの2人の著書である『マキャベリ的知性と心の理論の進化論』というのが、古典として読まれている。

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか Book マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

販売元:ナカニシヤ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

最近のサイエンスの特集 で社会性と脳をテーマにしたレヴューがでている。上のマキャベリ的知性仮説は、Robin Dunbarの記事で知った。ちなみにDunbarはマキャベリ的知性というよりは、「社会的脳仮説(social brain hypothesis)」と呼ぶべきだといっている。

社会的行動をするための認知機能と進化というのは、相当多方面の分野と直接関連性がある。ニューロエコノミクスなどの人間の認知的意志決定を支えている脳機能と重なっているし、同じように感情の脳科学とも密接に関係している。

さらに、自分自身の日常的経験と照らし合わせておもしろいことも多い。例えば、インターネットのおかげで、メールやチャットなどでのコミュニケーションが盛んで、ときには少し疲れてしまうぐらいだが、このほとんど実質的な内容を伴わないコミュニケーションに意義はあるのだろうか?とか考えると、これはサルのグルーミング(お互いの毛繕いをしてあげること)の人間バージョンじゃないかと思う。そうやって、社会での人間関係を安定させることで、お互いに助け合う関係をつくることが、結果的に進化的に有利なのだろう。だから、人間も同じことをするし、必要としている。

むかし同じラボだったDaw-An Wuは、最近話したら、学生同士の携帯メールの頻度から、そのひとの人間関係を定量化して、fMRIでその人間関係と対応するものを見つけたいと言っていた。たぶん、サイエンスの同じ号を見てそう思いついたのだろう。(ちなみに、他人のアイデアはむやみに公開しない方針ですが、Daw-Anはむしろそれをやれる機会が欲しいから、会う人にはどんどん話してくれといわれている。)

おそらく社会性の研究から意識の研究には直接結びつかなそうだけど、一般の人の興味をひくような話はたくさんでてくる。そういう興味で読んでいたら面白い話に出会った。

「理性は母親から、本能は父親から遺伝する」

すごく大雑把にいってしまえばこういうことだ。当然、兄弟・姉妹を比べれば性格なんかすごく違う場合も多いから、そんなにあてになる法則ではないだろう。上のDunbarの過去の論文で、少しだけそういう風なことに触れている箇所があった。どういう話かというと、母親由来の遺伝子と、父親由来の遺伝子が、脳のどの部位で発現して影響を与えているかをマウスで調べると、本能的な行動を司る辺縁系(hypothalamusとseptumが実際には研究対象になっている)は父親由来の遺伝子の影響が濃く、新皮質(特に前頭葉)と線条体(Dunbarはstriate cortexと書いていたが、striatumの間違い)は母親由来の遺伝子の影響が強い。

Dunbarの論文で引用されていたのはKeverneの論文で、それはいろいろな種のサルの社会形態(オスやメスがどのくらいいるかとか、群れの大きさとか)によって、辺縁系と新皮質の量がどう違うかを比べている。その論文から、遺伝子レベルでの解析をしている論文にたどり着くことができる。

「理性は母親、本能は父親」というのを、これから子供が生まれる夫婦とかに当てはめて想像すると楽しい。脳科学者としては、少々根拠があるからといって、あたかも真実のように言い切ることはできないけれど、まあ、ただの面白い話ぐらいに考えてほしい。

こういう、ゆるい話ついでにもうひとつ。少し前に、手相占いみたいな話を聞いた。 よく、右脳人間か左脳人間かみたいな話があるけど、それが人差し指と、薬指の長さを比べてわかるらしい。

元ネタはこれ。
http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2007/525/1

男はだいたい、薬指の方が長いらしい。で、薬指が長ければ長いほど、数学とか視覚空間的能力が高いらしい。自閉症をスーパー男ブレインだとする考えがあるが、たしかに自閉症でも薬指が長くなっているらしい。

男は、たいてい薬指が長いものだけど、女は、どっちもどっちぐらいのひとがほとんどだろう。もし、人差し指の方が長ければ、言語能力に長けている(可能性が高い)。

この、人差し指と薬指の長さの違いというのは、胎児のときにあびたテストステロンの量で決まるらしい。だから、脳の男度・女度と相関していてもおかしくないというのが、理屈だ。 今のところ、男は全員薬指が長いから、あまり見ても面白くないけど。

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Causalityと空

ずいぶん前から気になって、勉強していることのひとつにCausality(因果性)と情報の関係がある。

自分の基本的スタンスとして、汎心論(panpsychism)は妥当な考え方だと思っている。ナイーブな汎心論だと、温度計も温度を感じていると考えるべきなのかもしれない。そういう汎心論は信じていないけど、脳でなくても特定の情報処理が起きているシステムは主観的知覚を持ちうると考えている。そこで問題になるのは、どんな情報処理があれば意識がうまれるのかということだ。ただ、漠然と一般のシステムについて考えても生産的なアイデアをだすのが難しいから、では脳という実在する意識をもつシステムのなにが特殊なのかを研究するということになる。

Gerald EdelmanはTononiなどとこれまで、情報の複雑さ(complexity)を意識の指標とすることができるのではないかと、多数の論文を発表してきた。

Tononi, Sporns & Edelman (1994) PNAS

Tononi & Edelman (1998) Science 

Tononi, Sporns & Edelman (1999) PNAS

Sporns, Tononi & Edelman (2000) Neural Networks

Edelman & Gally (2001) PNAS

Edelman (2003) PNAS

ここまでのNeural Complexityの話は、野心的でおもしろいのだけど、やや抽象的で意識とのつながりは弱いように思っていた。

そのあと、Tononiが取り入れたEffective Informationという情報の概念を用いて、意識の情報理論を発展させた。

Tononi & Sporns (2003) BMC

Tononi (2004) BMC

(この理論の弱点を指摘して、Seth et al. (2006) PNASはCausal Densityというアイデアを提唱した。)

自分でも、情報理論的な研究ができないかと思って、あれこれ勉強していた。情報の伝播・因果関係を記述する学問分野としてBayes Netというものがある。たとえば、Judea Pearlの本なんかは、因果律について情報理論的に(確率分布として)Bayesian Networkで記述することについて書いている。

 

Causality: Models, Reasoning, and Inference Causality: Models, Reasoning, and Inference

著者:Judea Pearl
販売元:Cambridge University Press
Amazon.co.jpで詳細を確認する


この分野は非常に発達しているけれど、主に研究されているBayesian Networkというのは定義上、循環的な因果関係はあつかっていない。つまり、A->Bであると同時に、B->Aという相補的な状況というのははずされている。別に、Bayes Netにこだわらなければ、HMMとしていろいろ研究する方法はありそうだが、まだそのあたりは独学中で、よくわからない。

前回紹介した、Hofstadterの本

I Am a Strange Loop I Am a Strange Loop

著者:Douglas Hofstadter
販売元:Basic Books
Amazon.co.jpで詳細を確認する

では、ゲーデルなどを例に、再帰的な情報処理が特殊なおもしろい状況をつくるから、そのことが自己の形成や意識に関係あるとう論調だった。読者としては、どういうふうに関係あるのかを具体的に示してほしいところだったけれど、いまいちはっきりしたことを議論していないから、所詮エッセイにすぎない。ただ、再帰性を理解することであたらしい展望が開けるかもしれないということには共感できた。

Hofstadterの議論で面白かったとこは、情報の表象には、表象の対象と表象自体の二面性があって、表象の対象自体も、表象することができるということだ。この説明では意味がわからないだろうけど、Hofstadter自身がいっていることは、その本を見てもらうとして、自分の思考の糧となったところを説明したい。

脳の話に置き換えた、自分の解釈の例として、ニューロンのポピュレーションが線分の傾きを表している状況を考える。ニューロンがポピュレーションとしてコードしている内容が、「線分が45度の傾きをもっている」という意味を表しているとすると、その活動パターンには、活動パターンそのもの(情報の表象)と「線分が45度の傾きをもっている」という情報の指し示す内容(表象の対象)という二つの側面がある。意識を理解する上では、この情報の指し示す内容が、いかにして特定の意味となるのかが重要な問題だ。これが、意識の難しいところなんだけど、再帰的に、その表象の対象自体もまた、情報の表象コードの一部として扱うような状況を考えると、意味がどうやって生まれてくるかなどがわかるのではないか、という期待がある。ただ、ここで具体的に何をどうしたら良いのかはわからない。脳にあてはめて考えると、その先に、「線分が45度の傾きをもっている」という情報を明示的に表現した高次の表現自体がさらに高次な意味内容をコードしているとう階層的な構造は浮かび上がってくる。思考の方向性として気になっているから、考えているが、この先でやっぱり奇跡的なことがないと意識の説明にはすぐにはならなそうだ。

判然としないまま、情報のフィードバックというものを気にしていたら、なんと仏教での「空」という概念もまた、このことをテーマにしていたことがわかった。仏教のことなど詳しくもないが、最近たまたま読んだ小室直樹の本の解説で「空」の概念が少しわかった。

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか 日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

著者:小室 直樹
販売元:徳間書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


よく意識の研究だと、「瞑想」だとか「仏教的世界観」みたいなのが、実は意識の解明に役に立つみたいなことをいう人がいるけど、いまいちピンとくることはなかった。むしろ、意識ファンクラブの怪しい人たちがたくさんいるなぐらいにしか思えない。

小室直樹の解説だと、仏教というのは因果律の学問だという側面があるようだ(他の人の解釈は知らないから、それがどのくらい仏教学者の通説なのかはわからない)。我々にとって(人間の脳にとって)理解しやすいのは、原因があって結果がある、事象Aがあったから、事象Bが起きたという、直線的な因果律だが、因果律には、「AならばB」かつ「BならばA」という循環する因果関係もあって、これが「空」の本質らしい。物事の原因を分解してみていく還元主義では、ものごとを細分化して、よりミクロなレベルの原因の集合が原因となって、マクロな現象を支えているという世界観だ。ただ、世の中には、相互依存的な意味の関係というのは溢れている。小室直樹の例では、「母」と「子」というのは、「母」は子をもつことで初めて「母」となり得て、「子」の存在も「母」の存在があって可能となるという話があった。「空」というのは、「無」のことではなくて、関係性を取っ払って分析的に物事をみていくことで、存在の根拠が不確かになってしまうことのようだ。

(この文脈で調べてて出て来た本で気になるのが、これ

Mutual Causality in Buddhism and General Systems Theory: The Dharma of Natural System (Buddhist Studies Series) Mutual Causality in Buddhism and General Systems Theory: The Dharma of Natural System (Buddhist Studies Series)

著者:Joanna R. Macy
販売元:State Univ of New York Pr
Amazon.co.jpで詳細を確認する

いま、送られてくるのを待っているところ。なんかがっかりさせられそうだけど。)

何もないところに、関係性を成立させることで、一見根拠のないものに意味が生まれてくるプロセスというのはクオリアの成立過程と同じことだと思う。クオリアというのも、脳内の意味の相互関係のネットワークのなかで、そのネットワークのなかでだけ成立する獲得された意味のことだろう。つまり、月並みな言い方では、emergent propertyということだ。でも、いまだにこのプロセスについて、満足のいくアイデアや仮説さえも聞いたとことがない。

言語学でも、「言葉の意味」というのがどこから来るのかという議論がある。たとえば、ソシュール言語学というのがあるが、ソシュールは言葉には、シニフィアンとシニフィエという二つの側面があるといっている。それぞれ、表現する言葉自体と、表現される意味内容のことで、さっきのHofstadterの議論とも対応関係がつく。ソシュールのいったことで面白いのは、「シニフィエとシニフィアンの対応関係は恣意的だ」ということ(「犬」を表現するのに、英語と日本語だと単語が違っても良いから、音の響き自体が特定の内容を表すのには重要ではないという意味)と、もう一つは「意味というのは、差異の体系できまる」という、つまり意味の関係性によって決まるという話だ。これも、まさに「空」の話だ。(よくある例としては、「赤」の意味というのは、「赤」以外の言葉の意味によって決まる。「青」などの他の色なくして、「赤」は意味を持ち得ない。)

自分が脳科学で理解したいと思うのは、まさに「意味」や「クオリア」というのが関係性からどうやって生まれてくるのかということだ。おそらく、仏教も言語学も同じような難問をあつかっているが、この関係性から意味が生まれる現象の本質をとらえきれないのではないかとおもう。もし、脳科学者にしられていない斬新なアイデアがあれば脳をあいてに試してみたいと思う。

たぶん、この問題について考えている人は、たくさんいるんだろうと思う。ただ、考えるだけだと、時間はかかるし論文にもならないし、生産的ではない。因果律を情報理論的に理解するして、そのときに情報の表現と、表現の対象の関係を組み込むことことができたら良いと思う。もともと、そういうバックグラウンドではないから、自分で新しいアイデアをだして研究するレベルに達せるのかわからないけど、まずは実際の脳のデータの解析で、脳内の情報の因果関係のネットワークと意識状態の関係なんかは、実験屋としてはやりがいのあるテーマだろう。

それから、TononiやEdelmanのやっているような理論的研究をすすめることで、新しい世界観が作れるのではないかという期待もある。

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変化するNCC

なんでノーテボームの本が、意識の問題と関係あるのかを書いている途中だった。

その前に、ここでどうしても紹介しておかなければならない論文がでた。

Maier, Logothetis & Leopold (2007)

どういう問題意識かというと、binocular rivalryなどで主観的知覚に応じて発火頻度を変化させるニューロンがあることが知られているが、それらのニューロンは知覚とは関係なく入力刺激に応じて発火頻度を変化させるニューロンと何が違うのかということだと思う。あるいは、同じニューロンがコンテクスト(刺激条件)に依って、NCCの一部になったり、NCCではなくなったりするのかという可能性もある。

この論文では、MTでは知覚に応じた反応を示すニューロンが、binocular rivalryのペアの組み合わせ次第で変わる、ということが発見された。これは、NCCを探し求める人にとっては、とんでもないことだ。NCCに対応する特殊なニューロンがあるようなことを想定している仮説には都合の悪い発見かもしれない。

それから、一種類の刺激だけでなく、複数の刺激のうちすくなくとも一つの刺激に対しては、ほとんどのMTのニューロンがなんらかのperceptual modulationを示している。これは、過去のデータが約半分のニューロンだけがperceptual modulationを示すということと照らし合わせると、かなり驚きだ。

ここから学ぶことは、NCCをsingle neuronに求めるよりも、networkとしてのneural assemblyの機能として考えるべきだということかもしれない。

ただし、perceptual modulationがあることイコールそのニューロンがNCCの一部という訳ではないだろう。もしかしたら、MTは主観的知覚を生み出すのに直接関与していない可能性もある。単に、その一歩手前だから、常に相関が高いというだけかもしれない。例えば、John Assadのグループのこの論文では、MT/MSTは主観的知覚に対応した反応はなくて、LIPではじめて対応しているということが示されている。

それにしても、このMaier論文はNCCについて考える上で、インパクトが大きい。


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ATOM & When Pathway

しばらく多忙だった。ぜんぜん書きたいことを書けてない。

まず、3月の終わりにHuman Frontier Science ProgramからのFellowshipがもらえるという発表があって、それ以来、移動するための準備に追われていた。まだ、全然準備にもたどり着いてなくて、いままでカルテクでやってるプロジェクトの後片付けをしている。しかも、とちゅうですべてのEEGの元データを失うという事件もあって大変だった。

HFSPで9月からロンドンのUCLというところでWalshと仕事をします。

それでWalshの論文をいまさらながら読んでいたら、面白いのがあった。

TICSのレヴュー

Walshがここで提案しているアイデアは、parietal cortexとdorsolateral prefrontal areaは時間とか空間とか量的なものをコードしているのが、同じ場所に集約しているのは偶然じゃなくて、それらの部位がマグニチュード(度合い)を表現して運動に変換するモデュールだからだということだ。以前、時間がワーキングメモリの課題と干渉し合うけど、何をワーキングメモリに保持しているかに依存するということについて書いたが、マグニチュードという概念でかなり説明がつく。あと、時間知覚のイメージングで、コントロールのタスクがマグニチュードに関する場合は、parietalの活動が結果にでてこないという観察が鋭い。

あと読んでてすごく気になったのは、Piagetによると、赤ちゃんは時間と空間の区別がつかないと書いていたところだ。それは、元の話がどこにあるのか、みつからなかった。いったい、どんな実験したらそんな結論がでるのか?

それから、ふと思ったことだけど、DehaeneにしてもWalshにしても、なぜ意識に興味がある人は「量」とか「数字」の認知についても研究するのか。たんなる偶然か?もしかしたら、単に音がでかいとか、質のクオリアよりも、量のクオリアの方がニューロサイエンスとして扱いやすいってことがあるんじゃないか?

あと、もう一つ最近読んでおもしろかったのがWhen Pathwayについてのレヴュー。これは、おすすめだけど、いまは詳しく書いている時間がありません。

金井

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papers

最近友達に教えてもらったアプリケーションで、Papers というのがある。論文のpdfをオーガナイズしたりするのに使える。Pubmedで調べて、オンラインのジャーナルからpdfをダウンロードしてアブストラクトにリンクしてくれる。

これは、ものすごく便利。もはや、pdfのファイルを整理するのはあきらめて、まとめて一つのフォルダにいれてサーチでやりくりしてる状態だったのが、すっきりまとめられるようになった。ものすごくおすすめ。いまのところマック版しかないようだけど。

Papersへのリンク

おそらく、使う人が増えれば、これからもっと使いやすくなって広まるだろう。



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時間と記憶と前頭葉

ここしばらく毎日、時間の長さをどうやって脳が計算しているかというテーマについての論文を読みあさっていた。例えば、「3秒待っててくれ」といわれて、「3秒たった」とわかるというのはどういうことなのか。

クリストフ・コッホは意識の探求の中で、3秒まってから反応するという一見単純なタスクが、「意識のチューリングテスト」として、動物などに意識があるかどうかテストするのに使えるかもしれないと提案している。

時間の知覚の過去の研究から「3秒」というのは脳にとって「0.5秒」とは全く違う別の測る仕組みを必要とすると考えられている。Lewis & Miall (2003) のレヴューでは、3秒のタスクにはright PPCとrightDLPFCが関与していて、0.5秒の方はSMAや小脳などが関与しているとうイメージングのデータがまとめてある。脳にとって3秒というのは長時間で、その間の情報を統合するのに注意やワーキングメモリの機能が必要になるとうのはあまり驚きではないかもしれない。

でも、DLPFCの右だけがこの3秒タスクに重要だというところが面白い。TMSの実験でも右にrTMSをするとreproduction(刺激の出てた時間を、呈示後に自分でボタンを同じ長さだけ押すタスク)が、短くなるが、左のDLPFCでは変化がない(Jones et al. 2004 )。(Rao et al. (2001) のイメージングも参照)SMAの刺激は効果がなかったとしているが、ちょっと解析の仕方に不満があるから、いまのところこの結果は自分のなかで保留。それとVallesi et al.の論文でもrDLPFCへのTMSが時間感覚へ影響を及ぼすことを示している。Vallesiの論文ではforeperiod effectという効果を利用してimplicit(潜在的な)時間感覚を調べている。この手法は今後使えそうだ。どういう効果かというと、刺激が出たらできるだけ早くボタンを押してくれといわれていて、待ち時間が長いと、反応時間が短くなるという効果だ。単純だけれど、ShadlenなどがLIPでの時間処理をhazard functionだと解釈していることなどと整合性があって、computationalなモデルにしやすい実験系だと思う。

それから、3秒を頭のなかで数えている間に、他のことに注意をむけると干渉が起きるかという心理学の実験がものすごい数の論文になっている。とく重要なのが、Fortin et al. (1993) だ。2秒間たったらボタンを押すというタスクで、その間にVisual search(注意を使うタスク)をしても主観的時間の長さは変わらないのに、Sternberg task(たとえば、プローブとして見せられた1文字が、記憶の中の3文字に含まれているかを答えるタスク)では、ボタンを押すまでの時間が長くなる。これは、注意よりは、ワーキングメモリの操作が時間感覚に影響を及ぼすことを示している。そのあとにも、Fortinたちはこの系でたくさんの論文をだしている。ここに書いたproductionのタスク以外にも、encoding中でも同じ結果になることが示されている。

ただ、Fortinのタスクは、時間を評価中に、メモリーに情報を蓄えておくことと、その情報を操作することの両方を要求するから、両方の要素が影響しているようだ。Field & Groeger (2004) は、その区別を付けた実験をして、どのような情報をワーキングメモリに蓄えていると時間のestimationに影響がでるか調べている。音の高さや、時間の長さをワーキングメモリに保持していると影響がでるが、timbre(日本語でいうと何?)やluminance(日本語でいうと輝度)を覚えていても影響は出ないらしい。

もうすこし、顔とか空間の位置とかワーキングメモリのイメージングをしている人が使ったような刺激に対するメモリーと比較すれば、PFCの中での位置関係が干渉関係と対応しているか調べることができるだろう。

それから、3秒タスクはラットでそうとうやられていて、ラットはできるからきっと意識があるんだろう。今のところ読んでいるのは薬理学的な実験ばかりだが、電気生理学的手法と組み合わせたらそうとう強力な実験系だ。今のところ読んでる論文では、basal gangliaとfrontal cortexの関係の話が多い。まだ全貌が見えてこない。もうしばらく勉強の必要あり。最近、久しぶりに仕事もせずにひたすら論文を読見続けていて楽しかった。たまには、一週間読み続けるだけの週がほしい。


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Adaptive surround ...

やや気になった論文がこれ Huang, Albright & Stoner (2007) Neuron

non-classical receptive fieldのsurround modulationが、いつもsuppressionになるのではなくて、classical receptive fieldの外の刺激が、内側の刺激のapeture problemを解消する時には、integrativeに機能するという話しだ。

center-surround organizationはfigure groundなどオブジェクトのsegregationに役に立っているという考えからすると、期待されていたことではあるが、electrophysiologyで実際に示されると、とても気になる。

現象の発見自体には驚きは少ないが、実際にどんな風にニューロンがつながってたらこんなことができるのかと考え始めるとよくわからない。これを理解するのに役立つニューラルモデルは作れるか?そのようなモデルが作れれば、形とモーションのバインディングの問題の理解も深まるのではないか。

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P意識とA意識(つづき)

前回、P意識とA意識の概念的なことについて書いた。そして、P意識というのを実験的にとらえるのが難しいのではないかということを主張した。

言葉の面からだけ考えていると、すぐにP意識は考える必要がないとか、極論に走りがちになるので、具体的な事例を吟味しながら考えていくべきだろう。

で、今回は、P意識とA意識に対応する脳活動について書こうと思う。いくつか重要な論文があるから、ここで紹介しておこう。


de Lafuente & Romo (2005) Nature Neuroscience

このペーパーでは、サルの指に触覚刺激を、知覚できるかぎりぎりの強さであたえて、そのときの反応をS1のニューロンとMPC(medial premotor cortex)で測っている。S1は、触覚に反応を示す部位だが、サルの報告する感じたか感じなかったかに対応する反応を示していない。一方、MPCのニューロンはサルの主観的な判断に対応する反応を示した。このS1の反応と、MPCの反応はもしかしたら、p-consciousnessとa-consciousnessに対応していうると解釈できる。

さらにこの実験でおもしろいのは、直接MPCのニューロンを電気刺激するとサルが感じたと報告することだ。もちろんサルはしゃべれないから、そのときに何かを感じているのかはわからない。でも、これってa-consciousnessありで、p-consciousnessなしという状況ではないか。


Hanks et al. (2006) Nature Neuroscience

これは、LIPを刺激して、知覚に関する意思決定にバイアスをかける実験。上の論文と状況は似ているといえる。a-consciousnessを変化させているのかもしれない。

やっぱり、人間で、a-consciousnessを電気刺激で変化させると、何を感じるのかが気になる。


Super, Spekrijse & Lamme (2001) Nature Neuroscience
Ned Blockのレヴューでも出てきた特に大事な論文がこれ。この論文では、意識的知覚と深い関係にあると考えられているV1のcontextual modulation。しかし、この論文では例えcontextual modulatiionがあったとしても、decision criterionが違うと、答えが「見えなかった」になるという状況を示している。このような状況は、p-consciousnessあり、a-consciousnessなしと思われる。

実際に、脳の活動部位と対応関係をつけるとこで、p-consciousnessとa-consciousnessを考えるのがいいだろう。今、自分が興味をもって研究しているテーマの一つに、a-consciousnessを操作したときに、p-consciousnessがどうなっているかという問題だ。人間でそのような状況を作れば、具体的にどうだったか聞いてみることができる。今は、出力に近い行動にバイアスを無意識のうちに与えて、そのときの知覚の判断がどうだったかを調べている。しばらく行き詰まっていたが、このまえのpost-decision wageringの論文をみて、それで客観的なデータになるかもしれない。



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P意識とA意識

哲学者Ned Block は意識には、二つの側面があると主張し、phenomenal consciousness (p-consciusness)とaccess consciousness (a-consciousness)と呼んでいる。(Block, 2005

p-consciousnessというのは、意識の現象学的な側面、つまり赤という情報を処理しているときに生じている主観的感覚のことだ。つまり、意識のクオリア的側面のことだ。一方、a-consciousnessとうのは、意識として表象されている情報機能としての側面。写真を見せたときに、「あの写真には赤い花が映っていました」と答えることなどの、意識の外からも観測できる側面を指している。

哲学的において、この概念的区分は非常に重要だといえる。たとえば、チャルマーズの主張は、科学はa-consciousnessを研究することはできても、p-consciousnessのことはわからないだろうと、言い換えることができる。デネットは、意識はa-consciousnessがすべてでp-consciousnessは幻であって、存在しないのではないかという懐疑的な立場だといえる。

では、脳科学者にとってa-consciousnessとp-consciousnessの区別はどのような意味を持つのだろうか。ひとつには、意識と注意の関係を実験によって探ろうという場合、この区別は重要だ。目を開けていると目の前に「見えている世界」があるが、それはすべてp-consciousnessで、しかし注意を向けて、特定の物体などを一定期間、ワーキングメモリといわれる記憶に蓄えて初めて、a-consciousnessになるという考え方がある(Lamme (2004)など)。

一秒間に10枚ぐらいのペースでたくさんの写真を見たときには、脳はすべての写真を処理しているが、ワーキングメモリに蓄えるペースが追いつかず、すべてについて答えることができない、つまりa-consciousnessがない。(Marvin ChunとMolly Potterの提唱したattentional blinkのtwo-stage model を参照)

確かに、このような意識に上っていたが記憶に残らない情報というのを、科学者の立場からはp-consciousnessと呼んでしまおうという議論に共感するところもあるが、疑問もある。無意識のうちに、さまざまな情報処理が行われている場合はたくさんある。マスキングや、Binocular Rivalryなどそれぞれ見えてない刺激が、脳に何らかの効果を残している例はたくさんある。それらすべてが一度、p-consciousnessとして存在しているという訳ではないだろう。では、被験者がレポートできない(a-consciousnessがない)情報のなかに、p-consciousnessがあるものとないものに分類する基準が必要だ。

直感的には、binocular rivalryで見えないときには、p-consciousnessはないように思える。でも、attentional blinkでみえなかったときは、p-consciousnessがあったかもしれない。どちらもレポートできないという点では同じだろうが、何かが違う。あるいは、違いがないのなら、「a-consciousnessがなかったが、p-consciousnessがあった」という状況と、「意識に上らない無意識の処理があった(言い換えると、a-consciousnessもp-consciousnessもなかったが、脳は反応していた)」という状況の二つに意味の違いを持たせることができない。

たとえば、こんな分類法はどうだろうか。a-conciousnessに上らなかった場合でも、「意味の処理」ができた場合は、p-consciousnessがあり、できなかった場合は、p-consciousnessなし。binocular rivalryで刺激を見えなくしたときには、semantic primingが起きないが、attentional blinkで刺激が見えなかったときには、semantic primingが起きる。この基準はひとつの目安にすぎないが、私のいいたいのは、このような基準がないとp-consciousnessについて議論することが難しいということだ。

最後に、a-consciousnessというのは、結局ワーキングメモリと同義だと思う。刺激に対して反応できるというだけだと、ゾンビでもa-consciousnessがあるというおかしなことになる。ゾンビでないことを示すテストは、情報を数秒にわたって保持してフレキシブルに使う能力、つまりワーキングメモリではないか。p-consciousnessがないという懐疑的立場をとってしまうと、ワーキングメモリを研究することが直接的に意識を研究することになる。




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禁煙と脳

タバコをやめるのは、ものすごく難しい。禁煙をしていると、頭の中にあれやこれやと言い訳が浮かんできてまた吸いそうになってしまう。基本的に喫煙者の多くは、いつかやめると思いながら吸っている。吸う必要がないとわかっていながら吸ってしまうのは、ものすごく苦しいことだ。今のところ幸いにも、禁煙に成功して、吸いたいという感覚もない。

タバコを吸わずにすむ幸せな人たちは、中毒っていうのがどういう感覚なのか想像がつかないかもしれない。あえて似てるものがあるとすると、ダイエット中の空腹感かもしれない。寝る前に食べないで寝てしまえばいいのに、小腹が空いてるからたべてしまう。そういう感覚だ。

禁煙について面白い論文が最近でた。サイエンスという雑誌に掲載されたNaqvi et al. (2007)の論文だ。その論文では、脳の一部のインスラ(insula、正確な日本語の解剖学用語だと島(とう)という)という部位が脳梗塞などが原因で損傷をうけると、タバコをやめるときの、あの「どうしても吸いたい」という感覚がなくなるということが示されている。ただ、よく読むと、insulaに損傷があった人が必ずしも、他の場所に損傷があった人よりも禁煙しているというわけではない。場所に関わらず、脳に問題があったら、タバコをやめようと患者はみな考える訳だ。

そとから、磁場で脳の活動を一時的におさえるTMSという装置があるが、もしかしたらTMSをインスラにあてることで、一時的なタバコを吸いたいという欲求を押さえることなんかもできるかもしれない。現実的には、深いところにあるから、その途中の場所を全部刺激してしまって、無理だろう。

インスラという脳の部位は、何をやっているところなのか?アントニオ・ダマシオは、内蔵感覚として存在する感情を意識的に感じるときに重要だと提唱している。無意識の感情を意識の感情に変換する場所だというアイデアだ。(ダマシオの論文 )正直なところ、ダマシオのいうような感情と意識の関係は、よくわからない。まだ消化できていないから、自分の態度が決まらない。

意識を別にしても、かなりいろいろなことにインスラは関わっているようだ。コカインの禁断症状の時に活動し、熱烈恋愛中に好きなひとの写真を見たりするときにも活動する(Bartels & Zeki (2000) )。なんとなく恋と中毒がにているのはわかるような気がする。それから「痛み」に関わるエリアとしても知られている。

個人的なニコチン中毒経験からして、インスラは禁断症状を意識するのに関わっているかもしれないが、中毒そのものがそこにはないかもしれないと思う。中毒自体は、もっと無意識な状態で存在していて、無意識のうちに思考などにも影響を及ぼしているように感じられる。



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アルファ波ってなに?

アルファ波っていう言葉を耳にしたことがあるかもしれない。リラックしているときなどに、脳からでているっていう脳波だ。アルファ波が存在することは間違えないが、神経科学者にとっては扱いにくく、やや謎めいた存在である。EEGの実験をしていると、疲れてぼーっとしてると出てるのがわかる。

アルファ波には、実はいろいろ種類がある。一番よく知られているのは、頭の後ろの視覚野からでているアルファ波と、それとは独立だといわれる前頭葉から出ているアルファ波がある。独立だという根拠は、同一人物のアルファ波でも、場所によって周期が違うからだ。

同じような脳波は運動に関わる脳部位からも、聴覚に関わる脳部位からも出ている。それらは、μ(ミュー)波、τ(タウ)波と別の名前が付けられているが、周波数的にも、機能的にも似ている。

これらの10ヘルツ前後の脳波は、それぞれの脳部位を活動させるような、入力がないときに現れる。ちなみにラットなどの夜行性動物には視覚野のからのアルファ波がないらしい。(BuzsakiのRhythms of the Brain より。)アルファ波は目を閉じると現れて、目を開くとブロックされる。同様に、τは音を聞くとブロックされ、μは運動をしようとするとブロックされる。つまり、どれも脳がアイドリング状態にあるときに出ているようなのである。

Libetの実験では、自分が自由意志に基づいて行動を起こそうとするよりまえに、脳波でReadiness Potentialというのが観測されるといっている。Libetは0.5秒前にReadiness Potentialが見え始めるということから、自由意志は自分が気づく前に既に決まっていると議論している。トライアルごとにReadiness Potentialから、無意識の意図を解読するというのは至難の業だが、μ波も同じような目的に使えるのではないか。ミューはのパワーは運動が始まる2秒前にすでに低下し始める。これはいかにも読み取れそうだ。Readiness PotentialはDCのシフトだから、けっこう難しいかもしれない。

さらに、視覚野のα波に関して、おもしろい仮説がある。アルファ波の一つ一つの波が心の中の一瞬と対応しているのではないかというかなりワイルドな仮説だ。これはかなり昔からある仮説で、さまざまな実験が過去にある。しかし、この理論を支持するデータもあれば(Varelaなど)、支持しないデータもあって、結論はでていない。詳しいことを知りたい人には、VanRullen & Kochのレヴュー をすすめる。

意味ありげで、昔から知られているアルファ波だが、いったいどういう仕組みでそのような振動が脳内で起きているのかはわかっていない。アルファ型の脳波が観測されるのは、主に視覚でいえばLGNのような外界との第一次中継点となっている視床の部位とつながっているところだ。そ れと、LGNへのフィードバックを切ると、アルファ波がなくなったというネコの実験もある。大脳視床間とのthalamocortical loopが深く関わっているということが言われている。Nunez (2000)のレヴュー も読むべし。

前頭葉のアルファ波にも、前頭葉の部位に対応した視床の核があって、特定の一次機能(思考や計画について、一次ってなんだろう)と対応しているのだろうか。


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「意味」とは何か?

意識の問題がおもしろいのは、クオリアとよばれる、赤の赤らしさといった主観的感覚に意味が付随していることだ。「意味とは何か?」と哲学的に議論していくことは、一人一人がその問題に対しての態度を決める過程では必要なことだろうが、それは脳科学の素人でもできることだ。もし、すべてを解決するようなアイデアが出てくればいいが、この問題は人類が何百年も考えてきたことだから、新たなとっかかりなしでは、一筋縄ではいかないと考えるべきだろう。

脳内に意味(あるいはクオリアでもいいが)が生まれる過程で、感覚情報の表象だけではなく、そこからの出力や行動が重要な役割を果たしているだろうという考え方がある。

その一つの考え方で気になっているのが、deCharms & Zador (2000)のコーディングの問題に関するレヴュー論文の前半で提示されている問題だ。

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この概念図では、Aという入力があって、B1とB2はどちらも意識と対応した反応を示している。つまり、どちらもクリックとコッホの言葉で言えばNCCなのである。しかし、B1の情報はCという行動モデュールに伝わるが、B2の情報はただそこにあるだけで出力をもっていない。このような状況を考えたときに、B2に意識があると言えるだろうか。もしかしたら、A-B-Cのすべてがそろった状態で初めて意識が可能になるのではないか。

ここでのCは行動(運動)に限らず、一歩後の情報処理ステージと考えてもいいだろう。

こででB1とB2をMTだと考えると、B2のように出力のない状態でもそれだけでmotionのクオリアが形成されるだろうか。

O'ReganとNoeの提唱したSensorymotor account of consciousnessという理論がある。これは簡潔にいうと、主観的感覚の持つ感触は、自分の起こす運動(手を伸ばすとか、目を動かして右をみるなど)に伴って変化する感覚入力のパターンを学習に基づいているという考え方である。感覚運動学習によって、感覚刺激が「行動上の意味」を持つことができるようになるということだ。

たしかに、脳がクオリアを持つようになるために、出力系は必要だろう。ただし、一度、学習が完成して適切なネットワークが組み上がった状態では、まったく動けなくなったロックドインシンドロームの患者なども、感覚入力だけでクオリアを持つだろう。


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意識の測り方

Nature Neuroscienceの最新号に掲載されているPersaud et al. (2007) の論文で、客観的に意識を測るメソッドというのが発表されている。

今までは、刺激が見えたか見えなかったかなどを被験者に「どのくらい自信をもって答えているか」を直接質問することで、刺激が意識にのぼったかどうかを調べるのが主流だった。単に、正答率をみるだけでは、意識にのぼらずとも、正しいこたえを選ぶ、ブラインドサイトの状況があるので、正答率がかならずしも意識と対応しないことからそのような間接的な方法が必要だった。

Persaud et al. (2007)の論文では、直接質問する代わりに、その自分の答えに対してお金を賭けさせるというものだ。そうすることで、被験者に自分の意識状態について意識させずに、意識的にみえたかとか、なにかに気づいたかなどを調べることができる。

最初にこれを読んだときの感想は、「自信」を直接聞くこととくらべて、あまりメリットかないように思えた。しかし、論文中にあるアイオワ・ギャンブリングタスクは、被験者が気づいたかと直接聞いてしまうと、そのことで被験者が気づいてしまって、無意識のうちに徐々に気づき始めている状態をとらえることが難しい。Persaudの提案したPost decision wageringの方法では、そのような問題が生じない。ここが、この方法がこれまでの方法よりも優れているところだろう。

同じ号にKoch & Preuschoffがコメントしている。

『意識の探求』で紹介したトレース条件付けも、意識(気づき)を調べる方法だが、post decision wageringで測れる気づきと対応しているだろうか。

動物でpost decision wageringのような実験ができれば、さらに動物で意識を研究することが可能になる。

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Attention versus Awareness

日常の経験からAttention(注意)が意識的な知覚に必要だというのは自明なように思える。だが、注意と意識することというのは、同じ現象をさしているのだろうか。

このテーマについて、少なくとも主要なレヴューが3つある。意識の機能が何かを理解する上でキーとなる重要なテーマだ。主要なレヴューとしては、Koch & Tsuchiya (in press)Dehaene et al. (2006)Lamme (2004) があげられる。初心者はこれらを読むことから始めるといいだろう。

実験で注意と意識の関係を調べた研究では、Naccache et al. (2002)Melcher et al. (2005)Kentridge et al (2004) のBlindsight患者での研究、Kanai et al. (2006)Summer et al. (2006) が主要な論文である。

fMRIの実験などで、意識的知覚に対応した活動を見つけようとすると、その効果が知覚の成立に伴うものなのか、注意によって引き起こされるのかの区別が難しい。今後、注意と知覚を区別することは視覚意識を研究するものにとって、ますます必須条件となっていくだろう。


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